販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

米国、『デンバーボイス』誌販売者 ペニー・サンドバル

心配は不要。だって、最善を尽くす以外にできることはないですから

米国、『デンバーボイス』誌販売者 ペニー・サンドバル

『デンバーボイス』の販売者、152センチにも満たない華奢なペニー・サンドバルの立っている姿は本当に愛らしい。優しく、根っから明るい魅力的な人物だ。
サンドバルはデンバーのある米国コロラド州で生まれ、テネシー州ナッシュビルに住む祖母の元で育てられた。彼女が12歳の時に祖母が亡くなると、親戚の家を転々とした。
17歳の時には高校を卒業するより働く道を選択し、ナッシュビルのレストランにウエイトレスの仕事を見つけた。そのレストランは、カントリー音楽の伝説的なラジオ番組『グランド・オール・オプリー』の収録現場の隣にあり、ペニーは意気盛んなエンターテイナーや将来有望なパフォーマーたちが多く集う、しびれるような雰囲気に魅了された。彼女はそこで多くの友人を作った。
その中にはジョニー・キャッシュやウィリー・ネルソン、ジミー・クラントンや、そしてまだ〝ただのパンクロッカーの若造〟だったというエルヴィス・プレスリーも含まれる。
「彼はただの友達ですよ」。キャッシュがある晩自宅に訪ねてきて、まだ10代のサンドバルと一緒にポーズを撮った写真を眺めながら彼女はそう言った。
当時は彼女自身もちょっとしたミュージシャンで、スティールギターを弾き、ルームメートはベースを弾いた。「私たちの家には大勢のミュージシャンがやってきました。家に寄ってはジャムセッションをしていきましたね」。ソーシャルメディアがまだ存在しない時代、ツアーを終えてナッシュビルに戻った人々は、地元の音楽シーンにかかわる人たちの家に寄るのがお決まりのコースだった。歌手のポール・アンカと一緒に映画を観に行ったこともあるそうだ。
22歳の時には親友のディーディーと、旅に出ることを決意した。二人は各地のバーで働きながら、州から州へ移動。旅暮らしは数年間におよび、最終的には38の州と4つの国を訪れた。その後二人はナッシュビルに戻り、ペニーはバーテンダーの仕事を続けた。そして80年代になると再びデンバーに拠点を移す。ディーディーはマイル・ハイ・シティ(※)が好きだったからだ。そこから数年間、彼女は働きながら結婚と出産、そして離婚を経験した。
ペニーは2010年に倒れて股関節を骨折するまで、レストランのバーで働き続けた。しかし、この大けがで収入の道を絶たれた彼女は遂に住居を失う。1年半のホームレス生活を経た後、「コロラドホームレス連合」の支援を受けて住む場所を確保できた。
「人生に何が起きるかなんて本当にわかりません」と彼女は言う。「私は100歳になるまで働きたかったんです。まさか自分がホームレスになるなんて。人は与えられたものを当然のものとして捉えてしまうんですね」
幸運にもペニーは社会保障制度による給付金を受け取ることができ、それでは足りない分の費用を補うため、2013年から『デンバーボイス』の販売者として働き始めた。当初は自分がストリート紙を販売する姿がいまいち想像できず、ためらいがあったと言う。しかし始めてみるとバーテンダー時代と同じように、お客さんと信頼関係を築き、いろんな人たちと出会える仕事だと気づいた。
「私は人の中にいるのが好きです。常連のお客さんを得るまでに少し時間はかかったけど、今ではみんなが私の名前を覚えて、とても親切にしてくれます」
『デンバーボイス』を販売して得た収入で、生命保険の支払いも行えるようになり、またその他の必需品も買えるようになった。今の自分は幸せ、ありがたいことだと彼女は言う。ペニー・サンドバルから、この記事を読むみなさんへのアドバイスは? 
「心配なんて不要。だって、最善を尽くす以外にできることはないのですから」

『Denver VOICE』
●1冊の値段/2ドル(約220円)。そのうち1ドル50セントが販売者の収入に。
●発行回数/月刊
●販売場所/コロラド州デンバー市

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

286 号(2016/05/01発売) SOLD OUT

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