販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

ハワイ・ホノルル、ヒルダさん

虐待、ホームレス状態、薬物依存を経て、 今の夢は「高級レストランでシェフとして働くこと」

ハワイ・ホノルル、ヒルダさん

 人懐っこい笑顔が、会う人を温かく包み込む女性、それがヒルダさんの第一印象でした。ホノルル中華街で、長年に渡りホームレスや困窮状態にあるシニア、兵役経験者や家族、そして障害者たちを支援してきた非営利団体「リバー・オブ・ライフ・ミッション(ROLM)」─。そのキッチン・ディレクターとして、訪れる人たちに毎日提供する朝食とランチのメニュー、料理の監督いっさいを任されているのが、ヒルダさん(53歳)です。
 ハワイアン、ポルトガル人、プエルトリコ人、そしてフィリピン人の血を引くヒルダさんは、中華街に隣接するホノルルのカリヒで4人きょうだいの2番目として生まれました。父親を知ることなく、母とそのパートナーに育てられました。生活保護を受ける、とても貧しい生活。母のパートナーにより家族は虐待を受け続け、ヒルダさんは18歳の頃から友人の家で寝泊まりするようになります。虐待から逃れるため、枕1つだけを持っての家出でした。
 2年後、ハワイに駐屯していた軍人の男性と出会い、彼の故郷であるオクラホマに移住し、結婚。しかしアルコール依存症だった夫からも身体的虐待を受けるようになり、4回の流産を経て、ヒルダさんは一人、ハワイに戻りました。
 ハワイに戻ったヒルダさんは、建設関係の仕事につき、経済的に自立したものの、やがて薬物にはまり、すべてを失うことになります。薬物を買うために仕事をしすぎたことにより身体を壊し、肉体労働は無理となったため、秘書専門学校に通い、ハワイ州弁護士懲戒審議会の秘書の仕事に就きましたが、薬物依存症は続き、やがて薬物所持で逮捕されることになります。その頃つき合っていた男性の両親に保釈金を払ってもらったものの、秘書の職は失い、その1年後にはホームレス状態に。車中に住み、ビーチで薬物を売り、盗みをすることで生活を立てる毎日でした。その頃の人生の目的は、薬物を手に入れることだけ。幼い頃から受けた虐待の思い出と深い心の傷から逃れられるのは、薬物で陶酔している時だけだったのです。
 そして2006年に再逮捕。今度は薬物を売った罪で実刑判決を受けます。刑務所で過ごした4年間、そのほとんどをヒルダさんは深いうつ状態で過ごし、自殺も試みました。母も亡くなり、兄弟とも交流はなく、頼れる人はまったくいなかったヒルダさんは、シャンプーや石けんなどの必需品を買うお金を稼ぐため、刑務所のキッチンで一時間25セントの賃金で働いていましたが、その時の同僚の勧めで、出所する数ヵ月前に神への信仰に出合います。それがヒルダさんの人生にとって、最大のターニングポイントとなります。
 2010年7月、数少ない所持品とともに出所。行き場所のなかったヒルダさんは、ROLMの女性用住宅に迎え入れられました。ここでは、薬物やアルコール依存に苦しむ人のため、支援プログラムが行われています。9ヵ月を一区切りとして2期間の18ヵ月の滞在が原則ですが、ケースバイケースで自立を支援します。最初の90日は自分一人での外出は許されず、どこに行くにもシャドーと呼ばれる係が付き添っての外出。抜き打ちの薬物検査も行われます。
 ROLMのプログラムを終了した後は、カピオラニ・コミュニティ・カレッジで料理学を学び始めたヒルダさん。全力で勉強し、準学士号を手に最優等生として卒業、現在はROLMでキッチンディレクターとして働いています。
 ROLMで学んだ一番大切なことは、神の愛と、幼い頃に身についた歪んだ自己認識やネガティブな物の考え方を変えること、そして自分を大切にすることと語るヒルダさん。 
 5年後のヒルダさんは?という質問に、パティシエの学位を取得し、高級レストランのシェフとして働くことが夢と答えてくれました。でも、今しばらくはここで働き、ROLMが与えてくれた愛と支援を返していきたいとのこと。自分を大切にすることを学んだ今、肥満解消を含め、健康になることも現在の目標です。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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