販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

野原龍太さん

亡くなった彼女に喜ばれるような生き方を

野原龍太さん

 新宿駅西口から続く長い地下道を抜け、ようやく地上に出たところにある京王プラザホテル前の路上でビッグイシューを手に掲げている背の高い若者の姿があった。それが野原龍太さん(29歳)だった。
 南国出身の野原さんが、東京にやって来たのは2年前。3ヵ月間過ごしたニュージーランドから直接きたのだという。何か目的があったのかというと、そうではない。自暴自棄になっていて、故郷に戻る気になれなかったのだ。
 野原さんの父親は、居酒屋などを手広く事業展開。母親と妹はそれを手伝い、兄は船乗りの勉強中だという。野原さん自身は高校を卒業すると、大阪にある調理師の専門学校に入学するため18歳で家を出た。
 人生の転機は、大阪での学生生活最後の年に訪れる。同じ学校に通う1年生の女の子と知り合ったのだ。「学校で見かける彼女は、いつもひとりで、周囲から孤立しているように見えました。それが気になって僕の方から話しかけたんです。それで、お互いのことを話すうちに彼女がリストカットを繰り返していることを知り『守ってあげたい』と思って、つき合うようなりました」
 ところが、つき合って4ヵ月もしないうちに、二人の交際は突然終わってしまう。彼女が自殺して亡くなってしまったからだ。「遺書はありませんでした。ただ、亡くなった後の彼女の部屋はものすごく散らかっていて、それを見た時に本当につらかったんだろうな、と」
 それからは、自室にひきこもり、うつ状態になった。「彼女はなぜ死んでしまったのか? 僕のせいではなかったのか?」、そんなことばかり考えて過ごした。
 出席日数ギリギリで卒業すると、学生の頃からアルバイトをしていた和風創作料理の店で調理師として働くことになり、その店で2年働いた後、「そろそろ戻って跡を継いでくれないか」と言う、父親の言葉に押されるようにして故郷に戻った。
 帰郷して2年程経った頃、再びうつ状態になって部屋にひきこもるようになる。「それまでは、がむしゃらに働いて彼女のことを考えないようにしていたのだと思います。それが、仕事にも慣れて自分を取り巻く環境が安定してきたことで、油断してしまったんでしょうね。また彼女のことを考えるようになっていました」
 そんなうつうつとした状態が2年ほど続き、気がつくともう27歳になっていた。こんな風にぐずぐずと、生きてはいられない。生き直すためではなく、死ぬための旅に出ようと決め、航空券だけ取って、ニュージーランドに飛んだ。海外であれば、自殺だとは知られずに死ねると思ったからだ。
 結局、死ぬことはできなかった。だからといって、生きる意味を見いだしたわけでもなかった。旅費が底をつき、滞在可能期間が切れてしまい、東京に向かった。だが、ビッグイシューに出合うまでの2年間は公園や路上で寝て過ごし、空腹になると日払いの仕事をするという荒んだものだった。
「そのうち日払いで働く気力もなくなって、自分の力ではどうすることもできないほど精神的に参ってしまいました」。最後に泊まったネットカフェで「生活支援」と検索して、ビッグイシューのホームページにたどり着いた。
 ビッグイシューの販売者になってまだ3ヵ月だが、以前のように自暴自棄になることはないという。
「自分は路上生活にまで陥ってしまったけれど、もしも死別やうつ、ひきこもりを経験された方がこれを読んでいるなら、どうか人との交流だけは絶やさないで、生きてほしい」
「最近は、お客さんと1時間くらい話し込んでしまうこともあります。お客さんの悩みを聞いたり、僕の悩みを話して励ましてもらったり。ある時、お客さんに彼女の話をすると、『亡くなった彼女に喜ばれる生き方をした方がいい』と言われてはっとさせられました。その時に、会話には人の心にプラスの気持ちを生み出す力があると感じたんです。僕は今までお客さんからたくさんのいい言葉をもらってきました。だから、今度は僕が人を幸せにする言葉をかけていきたいと思っているんです」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

245 号(2014/08/15発売) SOLD OUT

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