販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
草野光さん
何もかも失うまでの人生と 取り戻す人生と、 2度も味わえている私は本当にラッキー
池袋から1駅のJR目白駅前で今年の9月中旬からビッグイシューを販売しているのは、彫りが深く、どこかエキゾチックな雰囲気が漂う草野光さん(59歳)だ。日曜を除き、朝は9時頃から、夜は日が暮れて明かりの灯った駅のステンドグラスが煌々と輝く7時頃まで立っている。周囲には大学や専門学校が多く、雑誌を買ってくれた学生と日本の将来や景気について意見交換することも少なくない。最近も、学習院大学の女子学生から「11月の大学祭にぜひ来てくださいね」と誘ってもらったばかりだ。
埼玉の浦和に生まれた草野さんは10歳の時に両親が離婚。草野さんは父親に、兄は母親に、それぞれ引き取られた。
「父親は経営する薬局が忙しくて、私は学校に行きながら炊事、洗濯、掃除なんでも一人でこなしました」
大学へは自宅から3時間かけて通ったが疲れて2年で中退し、近くの短大に入り直した。卒業論文はエジプト文明について書いた。「砂漠のような場所で、あれだけの文明を築けたパワー」に惹かれたのだという。古代エジプトの文字や文化遺産のデザインに魅了された草野さんは、「美」を追求する美容師を志すようになった。
美容学校を経て、25歳から36歳まで美容師として働いた草野さんは「裏方の世界」も知りたくなり、美容室にシャンプーなどを卸す問屋に転職した。
「ちょうどその頃、父親ががんになり3年で亡くなりましたが、病院に泊まり込んで看取った最期の3ヵ月は人生の中でも充実した大切な時間でした。父とあんなに一つになれたのは初めてで、崩壊した家庭で育ちはしましたけど、すべてを取り戻せた気がしました」
それから数年後、母親も病気で亡くした草野さんは「激しく動揺」した。
「両親が離婚後も二人と仲よくしていた私は、精神的に過保護に育てられていたんでしょうね。それからは仕事も手につかなくなり、フリーターとなって運送会社や印刷会社などを10ヵ所、20ヵ所と転々としました」
派遣会社にも登録したが仕事は減り続け、5年ほど前から路上で寝泊まりするようになった。
「路上で寝ていると、フルタイムの仕事は体力が続かないんです。夜8時まで仕事をして9時、10時に寝床を探しても場所を確保できないし、疲れも取れない。寝坊をしたり、印刷の機械に巻き込まれそうになったりして、とても無理だと感じました」
この時期、草野さんは販売者の真剣な眼差しに射貫かれて、1度だけビッグイシューを購入している。
「ハリウッドなんかの有名人を表紙に使えば、中身はどうだっていいと考えている雑誌かと思っていたら、社会の底辺から突き上げるような内容が、誰でも読める平易な文章で書かれていて意外でした。派遣の仕事がまったくなくなったら、自分も売りたいと思っていました」
そして実際売るようになった今は、「本来なら言葉も交わさず、路上ですれ違うだけのはずだった人たちと自分を結びつけてくれたビッグイシューに感謝している」という。
「おかげで毎日、涙が出るほど、人は私のことを思ってくれているんだな。こんなことってあるんだと、びっくりすることの連続です」 たとえば目白へ来る前、9月初旬まで販売していた信濃町では、大学病院に車椅子で通院している「ハイカラなご婦人」が声をかけてきた。以前にも買ってくれたことがある彼女は自分の悩みをしばらく話した後、「今日はお金があまりないんだけど」と財布を取り出した。中には100円玉が5枚くらいしかなかった。草野さんが「いいんですか」と尋ねると、「いいの。ビッグイシューは今どうしても買う必要があるから」と言って300円を払っていった。
「私にも、エジプトを旅してみたいという夢はあります。でも今は、佐野代表が周りに『あきらめたほうがいい』と止められながらも、夢を捨てずにビッグイシューを創刊してくれた気持ちに応えて、やる気とパワーと勇気を出さなくちゃいけない。何もかも失うまでの人生と取り戻す人生と、2度も味わえている私は本当にラッキーだと思っています」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
226 号(2013/11/01発売) SOLD OUT
特集ただ、触れ合う― 皮膚から見える世界