販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

滝沢光男さん

販売して半年ほどでアパート暮らしへ。 これから先は商売をやることも考えている

滝沢光男さん

サラリーマンの街・新橋の、街頭インタビューなどが行われるSL広場とは線路を挟んで反対側。銀座方面へ続く出口近くの紳士服店前に、雨以外の月曜日から土曜日の午前10時から午後6時まで立っているのが滝沢光男さん(54歳)だ。スーツを着ていれば道を急ぐ営業マンの群れに溶け込んでしまいそうな、清潔感あふれるたたずまいと精悍な顔つきをしている。
滝沢さんが生まれたのは、温泉郷として名を知られる長野県山之内町。電気店を営む父とは、幼い頃からそりがあわなかった。中学校を卒業した滝沢さんは、寮のある製パン会社に就職。その後勤めたスキー場で知り合った大学生に誘われるように19歳で上京して、「自分を変えたくて」ジーンズショップに就職を果たす。
「社長はとにかく怖かった。1年ぐらいした時に店長が急に辞めることになって、まだ何もわからないのに『じゃあ、お前が店長をやれ』って。仕入れも販売も何もわからないまま、がんばっていろいろやっていったんだ」
店長として7年も経った頃「もうこれ以上やってもあんまり変わらないかなと見切って」ジーンズショップを退職し、滝沢さんは地元に帰る。知人のやっているお土産屋さんを手伝うも、2年ほどで会社が倒産。ゴルフ場で4~5年勤めたのちに「なんとなく辞めて、放浪の旅に出た。放浪のクセがあるんだよね」。群馬県のパチンコ屋さんに勤めるうちに知り合った女性と、駆け落ち同然で千葉に引っ越したのが35歳の時。結婚生活は、2年ほどしか続かなかった。「なんで別れることになったのか、それだけは今でもわからない。酔っ払って帰ってきて、離婚届をつきつけられてそれで終わり」。それまでは朗らかな口ぶりで饒舌に語っていた滝沢さんが、ちょっとだけ口を濁した。「『チビは面倒みるから』って最初は引き取ったんだけど、仕事しながら育てるのにしんどくなっちゃって。連絡したら向こうが面倒をみることになったんだけど、月に1回会わせてもらえる約束が会わせてもらえなくなって、それっきり。電話番号も変わっちゃってるし」
娘と切り離されたことで、滝沢さんはすべての気力を失ってしまった。「半年ぐらいアパートに閉じこもっちゃったんだよね。ほとんど何も食べなくて」。同じアパートの住人が、滝沢さんを気にかけて働き先を見つけてきてくれた。やがて「仕事があるから」と別のお客さんに誘われた滝沢さんは、東京にたどり着く。「三ノ輪の宿泊所に泊まりながら、防水工事の仕事をしていたんだけど、給料がちょこちょこ遅れるようになって……。半年もらえなくて三ノ輪も出るしかなくなって、荒川で寝ていた。『どうしよう、どうしよう』と1週間ぐらい寝ていたら、『ほとんどここに寝てない?』って声をかけられたから『はい』って。初めて手配師に誘われて、解体の仕事をひと満期やった。ひと満期って知ってる? 働く日15日間をひと満期っていうんだけど、安いよー。日曜日とか働かない日もあるから18日ぐらいいて3万ちょっと。『これじゃやってられない』って上野へ出て、炊き出しも受けるようになったんだ」
本格的なホームレス生活を始めたころには、42歳になっていた。だが滝沢さんは、NPO法人の寮に入ったり、生活保護を受けたり、より人間らしい生活を送ろうと試行錯誤も繰り返している。「ある日、新宿にあるNPO法人の事務所に貼ってあった『ビッグイシュー』のポスターを見て、『ああ、自分で売って稼げるんだな』って思ったんだ。そろそろ何か始めないと、これ以上寝ていたら働く気がなくなるなって」
そう思い立って販売者を始めて、もう2年。炊き出しを受けるのも辞め、事務所の力も借りて半年ほどでアパート住まいをスタートさせている。これから先は商売もやっていきたい気持ちになっていると、滝沢さんは将来を語った。その目には、何もやる気がなく寝てばかりいた時期があった人とは思えない、強い光が宿っていた。
「ホームレスやっている人のなかには、ホームレスは楽だからいいっていう人もいる。食べるのは炊き出しがあるし、たばこと飲むことが何とかなればいいやって。でもさ。販売者をやるなら、炊き出しには行かないほうがいいと思うんだ。炊き出しに行かないことで、ホームレスから抜け出す方向に一歩前進できるんじゃないかな」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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