販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

Yさん

大好きなパチンコを断ち、貯金もしている。 ビッグイシューの魔術にはまってしまった

Yさん

JR恵比寿駅の西口に朝7時(土日は9時頃)から夕方5時まで立っているYさんは、これまで何度もビッグイシューに登録したが、3ヵ月以上いたためしがない。「だけどもう40になったし、これがラストチャンスだと思っている」と表情を引き締める。
千葉生まれのYさんは自営業の父、パートの母、姉、祖母と5人で暮らしていた。
「家が貧乏で背も低いので、いじめられていた」というYさんの手首には今もリストカットの跡が残る。とにかく遠くへ行きたかったYさんは高校卒業後、大阪の調理師学校へ進み、イタリア料理のチェーン店に就職。しかし「飽き性」がたたって、3ヵ月で辞めてしまった。
それからは「住み込みで働けるパチンコ屋や新聞配達、ガードマンなんかの仕事」を転々とした。「こんなところには絶対行かねえぞ」と心に決めていた日雇労働者の町・西成にも足を踏み入れ、現場の清掃や荷物運びなどをする雑工として働いた。
そこで得た7000円とか9000円の日当も寮費と前借り分の返済を引くと、手元にはいくらも残らなかった。そのわずかな金もパチンコ代に消えた。
いつからか仕事のない日はアルミ缶を拾い、路上で寝るようになったYさんは08年のある日、一足先に販売者となった友人からビッグイシューを勧められた。「好きなタバコを買えるなら」という軽い気持ちでライオン橋(難波橋、大阪北浜)に立ち始めたが、ビジネス街なので土日になると売り上げが下がることに耐えきれず、まもなく辞めてしまった。
生活保護も受けたが、パチンコに注ぎ込んで家賃を払えなくなり、路上へ出てはビッグイシューに舞い戻る。そんな悪循環を何度も繰り返した。
「普通なら、二度と来るんじゃねえよと突き放されても仕方ない。こんな俺を何度でも受け入れてくれるビッグイシューはすげえなと思う。だからこそ、こうやって生きてくることができた」
千葉の実家にも何度か帰り、母親にこづかいをせびったが「いい加減にしてほしい」と断られてからは近寄りづらくなった。
そして今年の正月明け、もう何度目になるかもわからないビッグイシューの扉を叩いたYさんに、あるスタッフが「ギャンブル依存症ではないか」と指摘。勧められるままに「GA(ギャンブラーズ・アノニマス)」という自助グループに通い始めた。
「GAには、本当に大変な状況に陥っている人がたくさん来ています」
GAに行って考えたことをノートにしたため、ビッグイシューのスタッフからコメントをもらう「交換日記」も始めた。「そこまでされたんじゃ裏切れないじゃないの。おかげで、通い始めてから一度もパチンコには行ってないよ」と笑う。
お洒落な販売者を見習って、ファッションにも気を遣うようになった。偶然にも生年月日が同じだった販売者のHさんが最近、就職してビッグイシューを卒業したこともいい刺激になった。
紫のターバンにしま模様のパーカー、ジーンズ姿のYさんはたしかに若々しく見える。その甲斐あってか、先日も若い女性が「フェイスブックに載せたいから」と、顔を写さないことを条件に写真を撮っていった。しばらくして、賛同を表す「いいね!」ボタンを10人もの人が押してくれたと、うれしそうに報告に来てくれたそうだ。
「いつの間にかビッグイシューの魔術にはまってしまった」というYさんを販売者仲間は「いつまで続くんだか」と冷やかすが、今度こそたぶん本気だ。
Yさんが売るビッグイシューには、『小っちゃいおっちゃんの売る夢大きい雑誌ビッグイシュー』と題する手紙が挟まれている。「しばらく書くのをやめていたけど、何年も前に渋谷で買ってくれたお客さんが今も大事に持っていてくれたことを聞いて再開した」という。おかげで、お客さんから「手紙読んだよ。今日も1冊買ってくね。がんばって」と声をかけられる機会が増えた。
「実は俺、小さくてもいいから、いつかラーメンの屋台を引きたくて、少しずつだけど貯金してるんだよね」
手紙には、そんなYさんの夢がこっそり打ち明けられていることもある。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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