販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

川島経男さん

住所がなくても仕事ができ、その日から収入を得られる 「本当に助かった」

川島経男さん

冬の冷たい風が吹きつける中、京都・三条河原町交差点西側の歩道に川島経男さん(49歳)が立っている。左手に最新号、右手にバックナンバーと2冊を掲げ、商店街を行き交う人にアピールしている。
「僕は人と世間話をするのが、あんまり得意じゃないんです。それでも最近やっと、何度も本を買いに来てくれるお客さんとは少し話ができるようになってきたかなあ」
大阪で生まれ育った川島さんは、高校卒業後に組立工として工場で働き始めた。ところがその工場で事故が発生、亜鉛ガスを吸ってしまう。手のしびれなど身体の不調が現れた川島さんは3ヵ月ほど入院を余儀なくされ、結局退職することに。体調が戻った後は、いくつかのアルバイト先を転々としたが、働きぶりが認められて衣料系の会社で社員として採用された。しかし、2年が経った頃に椎間板ヘルニアを発症、業務に支障をきたすようになり退職した。
「この頃は一人暮らしをしていたから家賃を払わなきゃいけないし、とにかく働けるところを探しましたね。でもヘルニアで身体が思うように動かなくなると、もう仕事も見つからなくなって……。一度実家に戻ることにしました」
しばらく休養したのち、派遣会社に登録。30代の頃は、おもに建築現場での仕事で生活費を稼いだ。38歳の時、派遣会社から倉庫会社での仕事を紹介された。数ヵ月して、その倉庫会社の直接雇用となり、業務責任者という肩書をもつようになる。
「でも、景気が悪くなってきて、この会社も傾き始めてしまって。同僚がだんだんとリストラされていき、僕も自分から辞めざるをえないような状況でした」
40代になっていた川島さんは、転職先を探すもなかなか採用に至らなかった。派遣会社からも仕事が回ってこない。「なんか仕事ないですかって粘って交渉したんやけどね、『かんにんしてな』って言われましたね」
同時に、親との関係もこじれ始め、実家で暮らすこともできなくなった。
「思うように仕事が見つからなくなって、自分でもなんとなく、少し前から路上での生活が目に見えていました。家を出て、持っていたお金もなくなって、そして路上で眠るようになって……。大阪では空き缶を集めるのも結構大変だと聞いて京都に来て、もう3年です」
京都でもハローワークに通ったが、なかなか仕事が見つからない。最初の頃は行政機関にも相談に行ったというが、この2年はまったく足を運んでいないという。
「以前に相談に行った際、住所がないという点で手続きが滞ったことがありました。路上生活している人間が相談に行っているのに、それってあんまりだなあって不信感が湧きました。それに、担当者が変わるたびにまた、一から説明をし直さないといけなくて。身元がはっきりしない人間は、まるで人間扱いをされないという感じがしちゃったんですよね。いったん住所を失ってしまったら、社会復帰するのは本当に難しくなる。行政がそういったことをもっと理解してサポートしてくれたら助かるんだけどなあ」
昨年、夜回りをしていたビッグイシュースタッフとの出会いが縁となり、9月から販売者になった。
「住所がなくても仕事ができるし、その日から収入を得られるので、お金をまったく持たない状況で暮らしていた僕としては本当に助かっています。お正月もビデオボックスに泊まれて、寒さをしのぐことができました」
ラジオの英語番組を聞いたり、図書館で本を読んだりするのが好きだという川島さん。「昔は働かなくちゃいけなかったから、勉強したかったけどできなかった。今は時間があるからね」。そういう些細なひとときに幸せを感じながらも、「これからの見通しはまだまだ立たないね」とも口にする。
「今は食べるだけで精いっぱい。まだ完全に軌道に乗っているとはいえない。でも、少しでも貯金ができたらその状況も変わるのではないかって、今は思っているんです」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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