今月の人

柳原裕伸さん

毎日自分が稼いだお金で弁当を買う 一時は失っていた生きる気力を取り戻せた気がする

柳原裕伸さん

「できるだけ早く仕事に行きたいから、取材時間は短いほうがありがたいな」。今、ビッグイシューの販売が楽しくて仕方ないという柳原裕伸さん(44歳)は、そう言ってにっこり笑った。JR高槻駅南側歩道橋上が持ち場だが、大阪・西梅田の共同経営店舗の第7期メンバーにも加わり、13年1月末までは毎日2つの販売場所を行き来する。
「仕事をしているんだってことが今、僕自身の大きな誇りになってます。販売者となって3ヵ月。心のもちようというか、気持ちが向く方向が大きく変わってきたように思いますね。僕ね、ちょっと前まで本当にものすごくネガティブだったんですよ。全然前を向けなかった。でも今じゃ、物事を前向きに考えられるようになってきました」
佐賀県で生まれた柳原さんは、母親が病気で入院を繰り返していたため福岡の児童養護施設で乳幼児期を過ごした。小学校入学を前に自宅に戻り、中学校卒業を機に、「手に職をつけられる仕事をしたい」と地元の寿司店で働き始めた。しかし、毎日13時間働いて月給6万円という条件に厳しさを感じて1年半後に退職。その後は内装の仕事や自動車工場の期間工、飲食店などで働き、20代後半で結婚と離婚を経験。30歳を過ぎてからは、東京や愛知などで派遣や期間工としておもに工場で働いてきた。
「でも、リーマンショックの余波で派遣切りに遭ってね。それからはほとんど仕事がなくなってしまったんですよ。求人もガクンと減ったし、探しても探してもなかなか働けるところが見つからなくて。もう気力がなくなっていく一方で……」
仕事を失ってからは、家の中にひたすら閉じこもっていた。「どこまで堕落していくんだろう」と感じながら、ひげをそる気も湧いてこず、何もせず、ただただ一日が過ぎていくのを待つだけの日々。鏡を見ると、げっそりとして生気のない顔が写っていたと柳原さんは振り返る。
「そんな日が数ヵ月も続いた頃、友達から『いつまでそうしてるつもりやねん。そのまま死んでいくつもりか』と結構厳しく言われてね。このままじゃダメだと、目が覚めた気がしました」
身を寄せていた友人宅を出たものの、行くあてはなく路上で眠る日が始まった。そんな時に出会ったのが、ビッグイシューの販売者。「どうなの? 売れるの?」と聞くと、「なんとかなるもんだよ」という返事。その頃、自立支援センターへの入所も考えていたが、すぐに仕事を始められるビッグイシューを選び、柳原さんは意を決して事務所に電話を入れた。
「初日は10時間以上も路上に立って、売れたのは10冊だけ。立ちっぱなしで身体のあちこちが痛くなったし、絶対に続けられないって思った。だけど、スタッフに励まされたり、事務所でほかの販売者と話をしたりして、もうしばらくがんばってみようと思い直しました。やっぱり足は痛くなるけど、ここで培った忍耐力や根気は、これから先どんな仕事に就いても役に立つだろうからね」
雑誌を買ってくれたあとに「がんばって」と固い握手を交わしてくれた年配の男性、見かけるたびに「こんにちは」と会釈してくれる女性……。今、大きな支えの一つはそんなお客さんたちとの交流だ。
「この仕事のいいところは、お客さんが声をかけてくれるところ。それだけで心が温まるし、ホッとするんですよ。世の中まだまだ捨てたもんじゃない。そう思わされますね」 販売者になる前は、「一人で悩みを抱え、このままどうなるのかすごく不安だった」という柳原さん。今は、いろいろと相談ができる販売者仲間がいることで、思い悩む時間はずいぶん減ったと話す。
「話せる仲間がいるというのは本当に心強い。それに、毎日自分で稼いだお金で弁当を買えることがうれしいし、一時は失っていた生きる気力を取り戻せた気がするんです。働くってことは、お金を得る以上の意味があるんですよね」
目標は、お金を貯めて自立することと、またいつか結婚をして家庭のぬくもりを感じること。取材が終わると、柳原さんは明るい表情を浮かべて販売場所へと急ぎ足で向かっていった。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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