販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

花渕信さん

30年のトラック運転生活から一転、 売り方にいろいろ工夫をしながら 今は、どうやって雑誌を売るのがいいのかを考えるだけ

花渕信さん

羽田と東京を結ぶ東京モノレールの始発駅・浜松町、JR浜松町駅と都営地下鉄・大門駅の3路線が交わる、世界貿易センタービル。その前で、穏やかながらも男気を感じさせる笑顔で静かにビッグイシューを片手に掲げているのが、花渕信さん(49歳)だ。平日は朝9時頃、週末は朝10時頃から、夜の7時頃を目安に毎日販売をしている。

「最初のうちは、立たない日もあった。運転のアルバイトが入るとそっちに行ってたし」 宮城県で生まれ育った花渕さんは、運転手一筋で生きてきた。高校卒業と同時に自衛隊に入り、輸送科に配属されたことで大型免許も取得。退職後は、自衛隊の先輩が勤めていた運送会社に入社して長距離トラックの運転手として働き続けた。だが地元の景気は落ち込んでいき、20代後半に上京を決める。「栃木から夜中に砕石を東京まで運ぶ『一発屋』っていう仕事があったから。けっこういい金になったんだ」

しばらく「一発屋」を続けたあとは、埼玉の会社で大型トラックの運転手に。だが6年ほど前のある日、社長が夜逃げしたことで急に職を失ってしまう。その後に出向いた飯場では、大型免許を生かした運転手として重宝される。「送り迎えのバスとか。あんまり厳しい仕事はさせられなかったよ」

だが、次第に仕事は減っていった。東京都の路上生活者自立支援センター「港寮」に入ったのは、昨年の春。住民票を移したことがきっかけで、音信不通だった地元の妹さんから連絡が来た。届いた手紙には、何年も前の新聞記事のコピーが2枚同封されていた。それは、父と母、それぞれの葬儀案内で、花渕さんはショックを受ける。「どっちも、死んだって知らなかったんだよな」

妹さんとは、電話で話もした。宮城の実家は、東日本大震災で潰れていた。誰も住んでおらず、どのみち潰すことを考えていたとの話だった。故郷を離れて、早くも四半世紀の月日が流れていた。

自立支援センターの期限が切れて路上生活に戻っても、たまに来る運転手のアルバイトをしていた。だが今年の6月、いよいよ手持ちが尽きそうになってしまう。以前に炊き出しでその存在を知っていたビッグイシューの事務所に連絡をして、すぐに今の売り場を紹介された。

「いい場所だよ。一日15冊ぐらいは売れるし。最初は、朝6時半頃に来てやってみたり7時すぎに来てやってみたり、道路を渡ってあっち側に行ったり駅前のガード下に行ったり、いろいろ試してみた。でも8時すぎは通る人も多いし、迷惑をかけるから今は9時すぎに来ることにしたんだ」

平日と休日、時間帯で異なる人の流れや時間帯ごとの売れ行きなどを、観察・探究していた花渕さん。だが運転手の仕事が入ると、続けて何日か休んでしまう。そんな花渕さんの行動を変えたのは、お客さんからのひと言だった。

「『毎日同じ場所に立っていないとダメだよ』って言われてね。常連のお客さんから」
花渕さんは、ガツンと衝撃を受けた。お客さんの言う通りに立っていると、朝はかけ足で前を通りすぎた人が休み時間に買いに来たり、いなかった日や他の売り場で買えなかった人が「今日はいるんだね」と買いに来たりすることがわかってきた。

「お客さんには、2つのタイプがあることにも気がついた。表紙を見て買う人と、中を見て買う人。『ちょっと目次だけ見せて』というお客さんがいて、特集や内容を見てから買うんだなと思った」

バックナンバーは特に、中を気にして買う人が多い気がすると花渕さんは分析する。そういう人のために、手に取って中を見られるように工夫もした。立ち止まって見てくれる人や、声をかけてくれる人が、少しずつ増えてきた。

「若い人から『毎日暑いから身体に気をつけて』って飲み物をもらったのがうれしかったなぁ。やる前は、ただ雑誌を売るだけだと思っていたから、こんなふうに人と話せるとは思ってなかったし。最近は、意外と販売の仕事も向いているのかもと思ってきたかな」 しばらくは運転手のアルバイトよりも販売を優先すると語る花渕さんに、将来的には運転手に戻ろうと思っているのかと聞いてみた。すると、意外な答えが返ってきた。

「長いこと同じ仕事をしていたからといって、それがいいとも限らない。今は、どうやって雑誌を売るのがいいのかを考えるだけ。軌道に乗ったら、先のことが考えられるようになるかもね」

先のことはまだ何も見えないけれども今を大切にしたいと、花渕さんはまぶしそうに顔をほころばせた。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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