販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
東正巳さん
まずは資格を取って、 亡くなった父を世話した経験を介護の仕事で役立てたい
「なんでも話しちゃうよ」
いたずらっ子のような表情を浮かべる、東正巳さん(32歳)。晴れている平日の朝9時ごろから日没まで、JR山手線の浜松町駅北口と都営地下鉄大江戸線の大門駅の間に立っている。雨の日や休日は、新宿や渋谷など場所を変えて立っていることもある。
東さんが三重県にある実家を出たのは、23歳の頃。4年あまりになる父親の介護に疲れ、半ば衝動的に家を飛び出したのだ。父は68歳で肺がんとわかり、「1年もつかどうか……」と医師に宣告され、職を転々としていた20歳前の東さんに家族の目が向いた。東さん自身も働けなくなった父の面倒をみることに抵抗はなかった。だが予想以上に長く続いた介護生活に、東さんは「もういいや」と大阪へ向かう。
持って出た多少の現金で、2ヵ月は遊んで暮らせた。お金が尽きて公園で寝ようとしていると、ホームレスの人が声をかけてきた。「若いんだから、西成に行けば仕事があるよ」と。その一言が、飯場を渡り歩くきっかけになった。
5年ほど関西近郊で働き、5年近く前の9月の台風の日に上京した。前もって大阪で仕入れた情報通り、高田馬場で手配師を見つけた。
「おお。本当にいるんだって思ったよ」 しかし、事情は大阪とは違うところもあった。関西では現場まで手配師がつき添うところを、東京では交通費と行き先を渡されるだけ。電車などを使って、自分で飯場までたどりつかなければならなかった。都内で会った手配師に埼玉県内の飯場を紹介され、現場は都内ということもあったという。また関西では個室が多かった飯場も、東京では6人部屋がほとんどだったそうだ。さらに、東京ではだまされることも多いと、東さんは振り返る。
「仕事があるって言われて飯場まで行っても、実際には仕事がないこともある。筑波まで行って、お金がないから歩いて東京まで帰ってきたこともあったな」
何回もだまされた経験から、東さんは飯場生活にケリをつける。「ビッグイシュー」に出会ったのは、寝泊まりしているネットカフェで検索していたときのことだった。
「『すぐできる仕事』って打ったら、ビッグイシューが出てきたんだよね」
事務所に連絡を取って、すぐに売り始めた。目標は、一日20冊以上。それだけ売れれば、ネットカフェに泊まって、ごはんを食べても、多少の財産が残る。だが現実的には、20冊に届く日は数えるほどだ。「できるだけ声を出して、目立つようにしているよ。人通りが多いところだから、そうしないと気づいてもらえないんだ」
上京してからホームレスになるまでの間に名古屋へ行った話や大阪に戻った話、ひょんなことから実家に連れ戻されてしばらく派遣社員として工場勤務した話、八王子の飯場でがんばっていたら「一番稼いだね」とほめられた話、親や兄弟の話など、いろいろな話を嫌な顔ひとつせずにしてくれた東さん。軽い口調ながらも、まっすぐな性格がうかがえる発言も多く飛び出した。中でも印象的だったのは、「仕事」に対する姿勢、そして将来に対する考え方だ。
「仕事してるんだからさ。炊き出しに並んじゃいけないと思うの、俺は。他の人は知らないけど」という言葉通り、ビッグイシューを売り始めてから、東さんは売り上げの中から食費を捻出するようにしている。販売者を一つの仕事としてとらえている上に、今後進もうとする道もきちんと見いだしている。
「介護の仕事をしたいと思っているんだ。だけどハローワークの求人を見ていると、資格がないとダメなことが多いんだよね」
資格取得に行政の支援があるとも聞いているが、資格の勉強をしている期間の生活はどうなるのかが気にかかる。万が一、勉強中の生活保障がなかった場合にはどうすればいいのか。説明を聞きに行けばわかることだが、時間を取られる分だけ収入が減るのが今はつらい。
「介護の面接に行くと、必ず聞かれるのが『年配の人のしもの世話も進んでできますか?』ってこと。親父の世話をしていたから抵抗はまったくないのに、資格がないから雇ってもらえない」
ずっと心から離れなかった父親が亡くなったことも、たまたま連絡を取った地元の民生委員から聞かされた。
「いつかは墓参りにも行かなきゃ。そのためにも、介護の仕事に早く就きたい」
まずは資格取得と介護職への就職。明確な目標とともに、東さんはビッグイシューの販売に熱意を傾けている。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
191 号(2012/05/15発売) SOLD OUT
特集いま、社会的企業。韓国の現場から