販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

高橋永治さん

「無理しない」「がんばらない」と、自分に言い聞かせながら 笑顔で楽しく販売を続けたい

高橋永治さん

高橋永治さん(62歳)は、福島県の会津若松に生まれ育った。高校卒業後は埼玉県の化学工場に就職するものの、化学物質に満ちた環境が体質に合わずに2年弱で体を壊して退職。自衛隊で6年ほど勤めた後に郡山へ戻って結婚をし、配送の仕事に就く。順風満帆な生活が待っていると思いきや、会社の業績悪化と足並みをそろえるかたちで結婚生活もほころび始めてしまう。離婚したのは30歳の時。仕事も辞め、心機一転を図るため東京へ出た。
「工場でも運送でも建築でも何でもいいと思っていたのに、東京でもあまり仕事がなかった。『大阪なら仕事がある』と聞いて、大阪に行くことにしたんだ」
時折すっと笑顔を浮かべながら、高橋さんはよどみのない口調で経歴を話す。
「大阪では、まずは建築関係の仕事。2年ぐらいで辞めて、工場に移った」
大手企業の下請けの下請けだった工場は、高橋さんにとって安住の地となった。自衛隊時代に取得していた自動車の運転免許や大型免許の経験を生かしてフォークリフトの免許を取得するなど、高橋さんは順調に20年以上勤め続ける。会社の人員整理の対象となったのは55歳のとき。リストラされるも、今度は神戸の会社でフォークリフトの資格を活用する仕事に巡りあう。
「2011年の初めに、またリストラにあって。大阪で仕事を探していたけど、建築関係でも仕事があるのは50代までだから……。東京に出てきたのは、3月の地震の後ぐらい」
ところが上京直後、一服しようと立ち寄った上野の公園で着るものなど生活用品一式を置き引きされてしまう。
「自動販売機に飲み物を買いに行った、たった50~60メートルぐらいの間。飲み物を買って戻って、しばらくしてから『あれ?』って」
幸いなことに、お金や免許証は身につけていた。だが、まさに身ひとつでの再出発となってしまう。「東京なら仕事があるのでは」という期待も、ハローワークに通ううちに薄らいでいく。そして、炊き出しの場でたまたま入手した小冊子『路上生活脱出ガイド』で、ビッグイシューのことを知る。
「ハローワークに行っても仕事は見つからないし、これならできるかなと思って事務所に電話をしたのが夏の終わり頃」
高橋さんが立っているのは、JR総武線・都営大江戸線・東京メトロ3線の計5線が通る飯田橋駅東口の近く、人も車も激しく行き交う五差路に面した角。横断歩道と横断歩道とにはさまれたガードレールには、透明なビニールに入れられたバックナンバーが表紙がよく見える状態でつるされている。
「バックナンバーもけっこう売れるよ。最新号をすでに買ってしまったお客さんが、買いそびれた号とかを買っているのかな。売れる号は決まっているから、何冊かは持つようにしているんだけど」
次の号が出るまで残り数日という時期には、バックナンバーのほうが売れることもあるのだそう。新しい号が出ると1週間程度は日に30冊近くが売れるが、その後は売れ行きが半減するため、バックナンバーの売り方を高橋さんは重く見ている。
「最新号が売れなくなった時期に、バックナンバーがある程度売れるようになるとうれしい。全体の2割ぐらいまでバックナンバーが売れて、1日に500円でも千円でも貯金をしながら生活の基本をしっかりつくれれば……」
飯田橋で売り始めて1カ月の間に、高橋さんは売れ方や人の流れをしっかりと把握していた。一日中人通りが激しいエリアだが、売れる時間帯は意外にもお昼前のひとときや午後に入ってからなのだそう。
「最初の頃は朝8時前後から立っていたけれども、朝の通勤時と昼飯の時間は歩いている人の足が速くてまったく売れない。立つ時間を遅らせても売り上げは変わらないことがわかったから、今はちょっとゆっくりめで平日朝9時半から10時くらいに立ち始めて暗くなる5時頃までにしたんだ。土曜日は10時から3時頃まで。けっこう若い男性が買ってくれるよ」
苦労しているはずの販売話の最中にも、穏やかにほほえみを浮かべる高橋さん。買ってくれるお客さんとの会話や通りかかったお客さんと会釈を交わすなど、高橋さんはちょっとしたコミュニケーションを楽しんでいる。
「『無理しない、がんばらない』と自分に言い聞かせて、今は気楽に売ってる。笑顔でいることだけは、意識しているかな。笑顔のほうがお客さんだってうれしいだろうしね」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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