販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

スロバキア『ノタベネ』誌販売者、イヴァン

自分でお金を稼いで、部屋を借りて、 支えていきたいと思える人がいる。 こんなに幸せなことはないよね

スロバキア『ノタベネ』誌販売者、イヴァン

2011年3月11日。未曾有の大地震と大津波が三陸沖を襲ったその日、1通のメールが「ビッグイシュー日本」に届いた。それは、スロバキアのストリート・マガジン『ノタベネ』誌の代表、サンドラから、『ビッグイシュー日本版』の販売者とスタッフの安否を気遣うメールだった。全員の無事を告げると、次のメールでは、「『ノタベネ』は、4月号の売り上げを、全額『ビッグイシュー日本』に寄付することに決めたから」と知らせてきた。海を越えて連帯を示してくれたこのストリート・マガジンの優しさが、ぽきっと折れた心にゆっくり染み入っていくようだった。
スロバキアの首都、ブラティスラバにある『ノタベネ』の事務所を訪れると、編集部員やソーシャルワーカー、販売者さんたちがお出迎えしてくれた。
「注意を喚起せよ!」という意味をもつ『ノタベネ』誌は、01年に創刊された。当時、INSP(ストリートペーパーの国際ネットワーク)が中・東欧でストリート・マガジンを創刊できるような団体を探しており、ブラティスラバで白羽の矢が立ったのが、ソーシャルワークを学ぶ学生だったサンドラたち3人だった。
「あれからもう10年経ったとはねぇー。いつも仕事に没頭しすぎて、自分の人生のことを考えるのをつい忘れてしまうんだけど……」とサンドラは笑う。「でも、人生で大切なことはすべてこの仕事から学んだ気がするわ」
早速サンドラに東日本大震災のための寄付のお礼を告げると、販売者のイヴァンを紹介してくれた。「彼は『ノタベネ』でも一番売り上げのいい販売者のうちの1人なのよ。お礼を言うなら彼に言ってね」
イヴァンに視線を向けると、「コンニチハ」と日本語で挨拶をしてくれる。そして、こう続ける。「毎日ニュースを見て、日本の人たちがあの大変な状況の中笑顔を忘れずにいることに、励まされているよ。僕も見習って、売り場ではいつも笑顔を心がけているんだ」
「この状況は一生続くわけじゃない。状況は少しずつだとしても絶対よくなっていくはずだよ。僕の人生だってそうだったんだから」
イヴァンが『ノタベネ』と出合ったのは08年のこと。その数ヵ月前、ブラティスラバにあるチョコレート工場で住み込みで働いていたイヴァンは、人員整理の名目で職を失うと同時に、家も失った。
それからしばらくは路上やシェルターで生活をしていたが、『ノタベネ』の先輩販売者からこの仕事を紹介してもらい、今に至る。
「幼い頃は、どんな子どもだったの?」と質問すると、途端に口をつぐんだ。「両親は幼い頃に離婚してしまったから、いい思い出は何もないよ。今はまだ、当時のことを話したくないんだ……」。家族とは音信不通の状態が続いているという。
そんな彼の顔に笑顔が戻ったのは、ガールフレンドの話になった時だ。イヴァンには、4年間つき合っている彼女がいる。シェルターで知り合った彼らは、今ではともに『ノタベネ』の販売に精を出し、ある家の一部屋を借りてともに住む。
「月に300ユーロの家賃を払っているんだけど、これだけのお金があれば、実はアパートを借りられるんだ。でも、借りる前に2ヵ月分の前払い金を支払う必要があって、これが用意できなくて……。だから、2人でお金を貯めて、アパートを借りるのが僕の夢だね」とイヴァン。
『ノタベネ』のスタッフによると、イヴァンは、稼ぎが手に入ると一番に、彼女のモニカのためにチョコレートを買ってくるという。「そうなの?」と聞くと、顔を赤らめてうなずく。
『ノタベネ』5月号の「今月の人」のコーナーには、2人そろって登場したイヴァンとモニカ。掲載された写真の中のイヴァンの目は、優しさの中にも強さのある、とてもいい輝きを帯びている。
「彼女は一目見た時から、誰かがそばにいて支えてあげる必要のある人だと感じたよ。聞けば、幼い頃母親に暴力を受けたつらい過去もあるという。だから、僕でよければ力になりたかったんだ」
「『ノタベネ』と出合ってからの僕は、自分でお金を稼いで、部屋を借りて、支えていきたいと思える人がいる。こんなに幸せなことはないよね」、そう言って、イヴァンはにっこりと温かい笑みを浮かべた。

『ノタベネ』
1冊の値段:1ユーロ40セント (約157円)で、そのうち70セント(約78円)が販売者の収入に
販売回数:月1回刊
発行部数:約3万部
販売場所:ブラティスラバ、コシツェ

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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