販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

福田明夫さん

若い客の家まで、大根の“桂むき”を教えに行った

福田明夫さん

毎日、早朝の4時に、福田明夫さんは根城にしている天王寺駅で目を覚ます。天王寺から毎朝JR環状線に乗って、福島駅前まで「出勤」する。

「この街は朝が早いよ。大阪駅にも近いから、出勤する途中に買ってくれはる人が多いなぁ。その分、夜はさっぱり売れへんよ」。だから、「勤務時間」は朝の6持から夕方の6持、昼食時間をはさんできっかり12時間だ。

福田さんは15歳の時から旅館の厨房で働いていた。白浜や勝浦の板場を転々とし、22歳で寿司屋の板前に。ところが、12年ほど前にご両親があいついで亡くなり、駄菓子屋を継ぐことになった。慣れない駄菓子屋で懸命に働いたが、すぐ近所のコンビニができた途端にその店はつぶれた。

「親の家を売ってまとまったお金がちょっとできた。それを、ついパチンコ、競馬、競艇で使うてもうてな。借金まで作ってしもた」。いつの間にか手持ちのお金はなくなった。アパートも出るはめになった。そして天王寺で、ビッグイシューを販売する先輩と出会う。その人の紹介でこの仕事につき、今の販売場所である福島駅前に立つようになった。

「ここはいいところやで。ビッグイシューを売りながら街の人の様子を見てたら、親切な人が多い。困っている人がおったら、誰かが手助けしてる。だから、この場所が気に入ってます」。実は、この2ヶ月毎朝ペットボトルのお茶を運んでくれる年配の女性がいる。

「いつも7時前ぐらいに来て『がんばってや』言うてお茶をくれるんです。ほんまにありがたいことです」。夕方には、会社帰りにときどき、おかずやおにぎりを持ってきてくれる女性もいると言う。

福田さんにはもうひとり、近所に住む人でお客さんから友人になった人がいる。「調理師学校に通っている若い女の子でね、たまに弁当を作って持ってきてくれるんです。その子に、今度学校で試験があるから、大根の桂むき(注:大根などを帯状に薄くむくこと)をして刺身のツマのケンをつくるやり方教えてくれ言われてね、家まで教えに行ったんですわ。その子、もちろん彼氏もおるけどね。ハハハ」そう言ってうれしそうに笑った。

そんなお客さんとのふれ合いが、今の自分の支えだと感じている。お話をうかがった日は、あいにくの雨。しかも、台風が近づいているという天気だった。「こんな雨の日でもね、買いにきてくれる人がいてるんですわ。だから、雨やからいうて休むわけにはいきません」

福田さんには特技がある。日付けや数字に強いことだ。「この仕事を始めた日は5月23日。その時の所持金は2千円」という具合。何時頃がよく売れますか?という質問の時、その秘密がわかった。ポケットの中から裏の白い折り込みチラシを小さく切ったメモ用紙が、何枚もきちんと折りたたまれて出てきたのだ。そこには、小さな字でびっしりと時間、性別、冊数が書き込まれている。売り上げ伝票なのだ。「別になんでていうことはないねんけどね、売れた記録を取ってるんですわ。見る?」と言って出してくれたのは、いままでの膨大な記録伝票。ビニール袋にいっぱいの伝票を、ちゃんと残してあるのだ。その記録によると、だいたい午前11時と午後1時がよく売れる時間帯だとか。そして、中年の女性が売れ筋らしい。

「月曜から土曜までは毎日ここに立つ。そして、日曜日は出張。梅田のコマ劇場の前に行くんよ」。でも、梅田はなかなか売れないらしい。「ゲームセンターとかあるからね。あの辺の若い子にはあんまり売れへんなぁ」。それでも、日曜は梅田、というパターンを最近はずっと続けている。

「僕はね、けっこう商売にはガンコなところがあるんよ。売り物には絶対に手をつけない、という信念みたいなんがあるね。きれいにして売る。売りもんと自分が読むもんとは別。商品は1回もページを開いていないものしか売らない」。まっさらのものしか商品ではない、それは確かに、福田さんの誇りのようなものだ。

「将来のこととか、今はなんにも考えてない。ホンマになんにも考えられへんなぁ」。ギャンブルが高じて野宿生活になった福田さんだが、今はボートはまったくしていない、と胸をはる。「実は、天王寺の寝床の両隣りのおっちゃんが、どっちもボートが好きでね、僕の頭ごしにボートの話をしよるんよ。つらいわ。でも、ガマンする、もう絶対やらへん」。そう誓う福田さんは、新たなデータを取るべく駅前に帰っていった。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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特集眠る門には福来たる

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