販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

正彦さん

今も人見知りはあるけれど、「ビッグイシュー・プラス」が生きがい

正彦さん

自由が丘で販売を続ける正彦さん(30歳)。人見知りで自分からお客さんに話しかけることが苦手という正彦さんは、最近、彼ならではのお客様サービスを始めた。それが「ビッグイシュー・プラス」。A4の紙両面にビッグイシューの特集や彼自身がピックアップした話題に関する情報を印刷し、雑誌にはさんで配布している。ビッシリ詰まった手書きの文字やイラスト、クイズなど、学級新聞を思わせる懐かしい作りだ。
たとえば、ビッグイシュー本誌で「ピクニック」を特集した138号の「ビッグイシュー・プラス」では、「ピクニックおすすめスポット」を紹介。さらに裏面では、「ピクニックといえばお弁当」と題し、お弁当メニューの考え方や食中毒を防ぐ方法まで書かれている。冒頭に必ず、「ピクニックとは何ぞや?」「お弁当の語源」など語句の説明が入っているところなど、彼の気まじめな人柄が垣間見られておもしろい。
「記事作りのための情報収集は、図書館やインターネットでやっています。ビッグイシューの最終ページに出ている次号予告を参考に本誌とかぶらないよう、頭をひねって考えるんですよ」
「ビッグイシュー・プラス」は正彦さんと販売仲間の秋一さん2人で考案したものだったが、最近、秋一さんの就職が決まった。
「焦りましたね。僕、最近30歳になったんです。会社に入った18歳の頃は、30歳には結婚して子どもが2人くらいはいると思ってたから。でも今はもうはるか向こうにある感じですよね」
正彦さんは神奈川県の出身。高校卒業後、某大手電機メーカーの子会社に正社員として就職した。
「僕の通ってた私立高校は技術系で授業料がものすごく高かった。だからちゃんとした会社に入社できた時は、これで少しは親に顔向けできるってうれしかったですね」
給料の半分近くを実家に入れていた孝行息子の正彦さんだったが、入社2年でリストラされてしまう。
「まさか自分が対象になるとは思っていませんでした。経済がドーッと悪くなって、工場を縮小せざるをえなかったんです」
失業保険を受給しながら、就職活動を始めた正彦さん。最初はのんきに構えていたが、なかなかいい仕事が見つからない。仕方なく短期契約の派遣で働くことにした。
「人見知りなんで、接客業とかダメなんですよ。だから仕事が限られちゃう。衣料品店の倉庫とか、漬物工場の倉庫とか……。いろんな派遣をやったけど、どこも短期契約なんで長続きしないんです。親にすればいつまでたってもまともに働かないように思えるんでしょう。『正社員で働け、バイトじゃダメだ』って散々言われて……。どんどん折り合いが悪くなっていきました」
自分でも痛いほどわかってるけれど、現実がついていかない。仕事がない時は部屋にこもって時間をやり過ごすしかなかったという正彦さん。ささいなケンカをきっかけに実家を後にした。そうして1年半。今も両親に対する思いはある。
「両親はもういい年だから心配。実家にいた頃、父が突然、脳内出血で倒れたことがあったんです。一時的に記憶をなくして母親の名前もわからない状態の時に僕の名前だけ呼べた。『正彦来てくれたんだね』って。それだけ心配かけてたんだと思ったら泣いてしまいました。どっか正社員に決まったら、菓子折り持って実家行って、一晩泊まってじっくり話したい。本当はここから電車乗れば、1時間ちょっとで帰れるんだけどね。たった1時間の距離なのに、ブラジルより遠く感じる。でも今のままじゃ顔向けできないからね。まさにこれから親孝行できるって時になったら、電話一本かかってきて『亡くなりました』ってことがあるのかもしれない。そうしたら『海外旅行の一つでも連れて行ってあげればよかった』って後悔するのかな」
気まじめな孝行息子ゆえの苦悩は深い。
ビッグイシューを始めなければ、販売の仕事などたぶん一生やらなかったという正彦さん。
「販売とか接客とか人相手の仕事なんてできないと思ってたから最初はつらかったけど、悪くないなって思えるようになりました。今も人見知りはあるけれど、いつも声をかけてくれる人とか、『ビッグイシュー・プラス』を端から端まで読んでくれる人とか、ありがたいなって。『ビッグイシュー・プラス』のネタ考えるのもやりがいの一つになってるんですよ」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

143 号(2010/05/15発売) SOLD OUT

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