販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

宇都宮力さん

趣味もあるし友達もいる。あとは家さえあれば。そして、夢はやっぱり、歌

宇都宮力さん

「ビーッグイシューはいかがでしょうか? 路上販売のビッグイシュー 1部300円発売中 最新号のビッグイシュー♪」
どこか懐かしいメロディーにのせて自作の宣伝ソングを聴かせてくれるのは、「歌だけは、3度の飯を食べるより好き」だと言う宇都宮力さん(61歳)。品川駅高輪口付近で昨年1月から販売している。

「柿の木坂の家」「ふるさとの燈台」「東京キッド」……宇都宮さんの口から次々と昔懐かしい歌が流れ出す。聴いていると、曲ごとに異なる情景がふわりと頭に浮かぶ。宇都宮さんによれば、曲に合わせて歌い方を変えているそうだ。
宇都宮さんは、熊本県の農家に生まれた。7人きょうだいの五男で、下には妹が1人。歳の離れた上の兄たち3人は、それぞれ道路関係の会社を経営している。

一方、小さい時から歌が好きだった宇都宮さん。いつも歌を口ずさみ、町内の盆踊りや歌謡大会で歌を披露し、歌手になることを夢見ていた。中学校を卒業すると同時に、兄の1人に連れられて東京に出た宇都宮さんは、その兄の会社で働くことになる。重労働に耐えかねて逃げ出したのは19歳の時。見つかって連れ戻されそうになったが、「自分の好きな仕事をやる」と言うと、兄は「やってみればいい。がんばれ」と解放してくれた。

自由の身になって1年半ほどは、寮住まいをして中華料理屋に勤めるかたわら、歌手になるための道を模索した。しかし、プロダクションに金を渡して逃げられ、歌謡学校の高い学費を払い、「歌手になるには金がかかる」ことがわかってくると、しだいに夢の実現をあきらめるようになっていく。

ある時、新聞に「歌手募集」の文字を見つけ、担当者に会いに行ってみると、それは飲み屋をまわって客のリクエストに応えて歌う「流し」の仕事だった。騙されたと思いながらも、「好きな歌で仕事ができるのなら」と、ギターの弾き方を覚え、レパートリーを増やして渋谷の街に出た。3曲歌って500円の時代だった。

10年が経ち、流しの仕事はカラオケが台頭するにつれてなくなってしまった。20代後半から路上に出るようになった宇都宮さん。会社勤めは長く続かず、建築関係の日払いの仕事を続けていたが、50代も半ばをすぎると肉体労働の仕事はまわってこなくなる。そこに先輩販売者の紹介で始めたのが、ビッグイシューの仕事だ。

販売は気張らず無理のないペースで続けている。営業しているのは、朝7時半から仕入れた冊数がなくなる頃まで。普段は25冊、新号は50冊くらいを準備しておき、売れ残った分があれば、それを翌日売る分に回して仕入れる冊数を減らす、という具合だ。疲れたら、少し休んでタバコを吸っていることもある。

「歌に上手い下手は関係ない。楽しめばいい」と言う宇都宮さん。「人からお金をもらって歌う流しの仕事とは違うのだから」と……。今は月に2回ほど、仲間と一緒にカラオケに行くのを楽しみにしている。

当時、渋谷の流しからデビューを果たした歌手に北島三郎がいる。何かが違っていたら、宇都宮さんが演歌の大御所になっていたかもしれない。そんな夢の切れ端を追って、宇都宮さんの時間は、まるで流しをやめた時点で止まっているかのようだ。

「人前でしゃべるのは苦手なんだけど、歌は人が多ければ多いほど気持ちがいい」。ある歌手のコンサートに飛び入りして「東京音頭」を歌ったこともある。「歌で食えりゃ一番いいな。でも、現実には、まず無理」

子どもや高齢者の施設で歌ってみてはどうかと水を向けると、「そういうの、いいですね。やりたい。子どもなら童謡、高齢者なら懐メロでしょうな。童謡は、赤とんぼとか、故郷(ふるさと)とか……」

宇都宮さんには特技が2つある。1つは語学。いろいろな国の人と友達になるのが好きで、簡単な挨拶や歌なら、韓国語、フランス語、広東語、北京語、タイ語などが、すらすらと出てくる。もう1つは、子どもに好かれること。優しい性格からか、子どもがすぐになつく。販売していると、小さな子どもがちょこんと横に来て、話しかけてくることもよくあるという。これなら、どこへ行ってもすぐに人気者になるだろう。

そんな宇都宮さんの「目標」は、自分の部屋を持つこと。路上で寝ていると病気になりやすく、すでに持病で2回手術を受けている。「趣味もあるし友達もいる。あとは家さえあれば」
最後に「じゃあ、夢は?」と尋ねると、「やっぱり、歌」と、目をキラキラさせてうれしそうに笑う宇都宮さんだった。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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