販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

高群勝彦さん

家に帰ったらほっとできる、そんなほのぼのした家族がほしいな

高群勝彦さん

鹿児島中央郵便局前で、休憩を挟みながら朝7時から日暮れまで立っている高群勝彦さん(41歳)は鹿児島で初めての販売者だ。
1日の売り上げは10冊程度。譜面台を横に立てサンプルを置くなどを工夫するが、鹿児島でのビッグイシューの認知度はまだまだ低く売り上げが伸びない。
「でもね、今日タクシーの運ちゃんがぐるっと一周まわしてクラクションを鳴らしてから買ってくれたんですよ。嬉しかったなあ」。そう言って笑うと、ちょっと無愛想に見えた高群さんの顔が子どものように無邪気になった。

コンピューターの専門学校を出て東京で就職。2年間働いたが、人に誘われて遊び気分で始めたパチンコが止められなくなって借金をつくった。「しないとずっとイライラ。1日8~10時間くらいしました。やめたいと思うんだけど、やめられない。そんな自分が嫌になって気分が落ち込むと、そこから逃げ出すためにまたするんです。完全にパチンコ依存症でした。病気ですね」

実家の福岡に戻り借金を返済した後、結婚して警備会社で7年間働いたが離婚。その後タクシーの運転手や布団の営業など仕事を転々とした。人間関係などでストレスが溜まるとギャンブルをしたくなる。気づいたらまた借金が膨らんでいた。

「親に『もう帰ってくるな』と言われて、昔よく行った熊本に行きたくなってふらりと出て行きました。何日かはホテルに泊まっていましたが、お金がなくなって駅や公園で寝るようになったんです」

同じ路上生活の人が、空き缶回収を教えてくれた。1日20~30キロの空き缶を回収して地金屋に売りに行く。2000円位の収入になったが、日によって500円程度しか稼げないときもあった。余ったお弁当をくれたり路上生活仲間は優しかったが、生活は当然のことながら辛かった。特に辛かったのは「何も食べないで眠るときだった」と言う。

「食べていないと体温が下がるから身体が冷え切って、寒くて辛くて眠れないんですよ」。ある日、駅構内でようやく眠りにつくと、頭から自転車が降ってきた。やったのは中学生だった。怒りが腹からこみ上げて追いかけた。捕まえて殺してやりたいとさえ思った。「でも、親の顔が頭に浮かんだんです。人さまに迷惑かけちゃいけないって。殺さなくてよかったねえ、今ここにいられるから」と高群さんは笑う。「ロケット花火を突っ込まれたこともあります。眠っているときもいつも神経は起きていました。心が休まるときはなかったですねえ」

熊本で6年間路上生活をした後、高群さんは鹿児島に移った。「冬が近づいてとにかくあったかいところに行きたかったんです。自転車こいで来てみたら、寒さは大して変わらなかったけどね」。空き缶回収の仕事がなかったため、家庭の生ごみに手を突っ込み食べられるものを探したり落ちているパンを食べたりして何とか空腹をまぎらわせた。
ある日炊き出しで出会ったボランティアの人が、高群さんに生活保護を受けるように勧めた。それまで自分が受けられるとは思っていなかったが、窓口に申請すると、最初は福岡に帰れと追い返されかけたが、なんとか受給することができた。久々に畳の上で眠る心地は格別だった。

「でもそれも最初だけ。仕事を探しても全然ないのに仕事をしろと指導される。一日中部屋にいると孤独でたまらなくなって、テレビに向かってぶつぶつずっと独り言を言うようになってきて」。医者に行くと、うつ病と診断された。

自分の居場所がどこにもないような気がして、自転車で福岡に行ったこともあったが、そこももう自分の町ではなかった。誰にも必要とされていない虚しさから逃げ出すにはギャンブルしかなかった。だめだと思い、ギャンブル依存症の更生施設にも4ヵ月滞在したが依存症は治らなかった。

そんな時にボランティアの人にビッグイシューを勧められた。「やってみようかなって。自分にできることがあるなら」。販売を始めて10ヵ月。路上での販売はどうだろうか。

「最初は不安で仕方がなかったけど、始めて本当によかったと思います。立っているのは辛いけど、仕事をしている充実感がある。一番よかったのはね、ギャンブルをしなくなったこと。お客さんやサポーターに囲まれてつながりができた。孤独をまぎらわす必要がなくなったんです」

今後の課題はビッグイシューの認知度を高めること、そして将来的には家族をつくりたいという。「家に帰ったらほっとできる、そんなほのぼのした家族がほしいな」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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