販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

吉富さん

買う人の気持ちを考えるようになって、「がんばってますね」という声をかけてくれる人が増えた

吉富さん

スーツ姿のサラリーマンであふれる東京、品川駅。吉富さん(38歳)は港南口付近に立ち、「おはようございます!」と元気よく声をかける。脇に置かれたスケッチブックには手書きの宣伝文句が躍り、最新号には購入してくれる人への感謝の手紙が挟み込まれている。

「いつもニコニコして上を向いて歩いたほうが自分も楽しいし、周りにもいい印象を与えると思うんですよ」と、社交的で気さくな吉富さん。実は、販売を始めた当初は誰にでも食ってかかり、人の話はうわの空で聞いているといったふうだったというのが信じられないくらいだ。

平日は、品川に立つ吉富さんだが、土日祝日も休まない。警察官や住民の目が厳しく新米販売者としての苦難の日々を過ごしたものの、愛着のある販売場所・原宿(表参道ソフトバンク前)でも販売するためだ。「10代の頃、いつか原宿で働きたいとあこがれてたことがあるんですよ」

吉富さんは九州の離島出身。高校卒業後、陸上自衛隊に4年間在籍し、22歳の時に上京した。この時、目当てにしていた仕事にありつけず、年末年始のことで日雇いの仕事も打ち切られて「除夜の鐘とともにホームレスになった」という。これが最初のホームレス体験だった。
その後、黙って家を飛び出すこと2回、いずれも両親の出した捜索願によって連れ戻された。その間、土木現場、ブロック工場、スーパーのバックヤードなどで働いた。
また、実家の農業にも取り組んだが、運悪く原油高騰のあおりを受けて経営が行き詰まってしまう。

35歳の時、3回目の失踪をした。広島で1ヵ月ほど働き、再び、連れ戻されてみると、もうそこに吉富さんの帰る場所はなかった。地域性がそれを許さなかったのだ。以前は口うるさいほどだった近隣の人々は、吉富さんが近づくと黙り込む。「もう戻れないとあきらめてる」。今度は、吉富さんの方から親に別れを告げて家を出た。

名古屋、岐阜などでの仕事を経て昨年10月、再び東京へ。数日後、偶然出会った販売者が見せてくれたビッグイシューを読み、「これならやってみたい」と思った吉富さん。なんと翌日の昼から販売を始めて、あっという間に15冊を売り上げてしまった。

ところが、誰かの通報で警察官が見回りに来るようになると、なぜか不振が続いた。「販売者も一時のこと、腰掛けでいいやというつもりでいたんだけど、お客さんの中に、初対面なのに満面の笑みで買いに来たり、『いたいた、探したよー』なんて声をかけてくる人たちがいて、それが不思議でたまらなかった。そう思っていたところに読んだのが、バックナンバー100号の対談です」
この対談では、精神科医である香山リカさんが「ビッグイシューを買う時の心理」を率直に語っていて、買う人の気持ちを考えさせられる。この時から売りの一手だった吉富さんの販売方法は、少しずつ変わっていった。
「買いに来てくれる人を大事にしよう、一人ひとり丁寧に対応しようと思うようになりました。それから、原宿に何かお返しがしたいと考えた。そんな時、目に入ったのが、ごみ拾いボランティアグループ・グリーンバードの人たちでした」

吉富さんは今でも週に1回、グリーンバードの人たちとともに原宿のごみ拾いをしている。また、ビッグイシューの中で始められた販売促進のための人間力アップ講座にも出て、自らのスキルアップを図りつつ、他の販売者のことも考えられるようになった。「自分が蝶なら、青虫からサナギになり、じっと我慢していた時期がある。だから他の人にも、いつか蝶になれるからあきらめずに続けてほしい、他の人にもそれを伝えて手助けをしたいって思えるようになったんです」
底抜けに明るく見える吉富さんのこれからの目標は、意外なものだった。
「人にはなかなか言えないけど、夜中に"パニック発作"(パニック障害の発作。突然狭心症のような胸痛に襲われる)が起こることがあるんですね。販売者になってからずいぶん落ち着いたけど、まだひと月に1回ぐらい発作があって。あと、実は販売者のIDカードをつけることで自分に歯止めをかけているところがあるんです。カードをつけていない素の自分でも、社会の中で受け入れられるように精神状態を安定させたい。それまでは販売者を続けたいと思っています」

でも、そんな思いはできるだけ表に出さない。ある時、原宿で10代の女の子に「おじさんには"一所懸命"がないよ」と言われ、何も答えられなかったそうだ。今は、その吉富さんに「ほんと、がんばってますね!」と声をかけてくれる人が増えつつある。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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