販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

小川武志さん

15歳の時、衝撃を受けて以来、夢は「村上春樹のような小説家」

小川武志さん

駅を中心に人気店が集まり、住みたい街ランキングではいつも上位に入る自由が丘。そんな東急東横線自由が丘駅の正面口で、小川武志さん(29歳)はこの3月からビッグイシューを販売している。毎朝9時から夕方6時までの間に、多いときで20冊近くを売り上げる。買っていくのは7割が20代か30代の女性だ。

華やかな町の印象とは対照的に、小川さんの口から語られる半生はずっしりと重い。小川さんは東京で生まれた、らしい。というのも、小川さんには幼い頃の記憶がない。物心ついたときには、児童養護施設で暮らしていた。ここで、小学1年から中学3年までの9年間を過ごした。のちに母からは、「経済的に育てるのが難しかった」と打ち明けられた。
「施設では中学生になったら個室がもらえるけど、小学生は4人部屋だった。みんな本当の家族みたいで、いやな思いをしたことはありませんでした」

実の家族と対面した最初の記憶は、小学5年生のとき。母が妹を連れて会いにきた。「自分にとっては、これが初対面みたいなものだった」と、小川さんは振り返る。中学卒業後は、一緒に暮らした仲間と別れて、家に引き取られるのがいやでたまらなかった。高校に入れば施設にいられると聞いて受験したが、合格には届かなかった。

家では父との折り合いが悪かった。やることなすこと、すべてを否定された。母は父の肩をもつか、傍観に徹していた。両親には言いたいこともあったが、「今さら言ってもしょうがない」と黙っていた。

家に居場所を見いだせなかった小川さんは、家出を繰り返した。自立しようと大工の見習いもしてみたが、あまりの厳しさに、すぐやめてしまった。その後、製本の町工場で1年ほど働いた。
「いくつかの折に分かれた本のページを機械にセットしたり、本にカバーをつけたり、出荷作業をしたり。けっこう腰は痛めましたね」

それから書籍の取次店に2年勤めた小川さんは、携帯電話の基板を組み立てる工場で派遣社員として働いた。長野での勤務だったため、実家から離れられる気楽さがあった。ところが、その工場への派遣から撤退するという派遣会社側の都合で、契約は打ち切られた。25歳にして、小川さんは路上へ放り出された。
「実家に戻るつもりはありませんでした。金がなくなったら駅で手配師に声をかけて、日雇いの仕事をもらっていました」

池袋の路上で、「アパートの部屋が余っているから1部屋使っていいよ」と、60代くらいの男性から声をかけられたこともある。1年ほど世話になった頃、男性は忽然と姿を消した。そのうち家賃の催促が来たが、代わりに払えるような額ではなく、また路上生活が始まった。

そんな昨年の9月、ネットカフェでビッグイシューのホームページをみつけた。さっそく事務所に連絡を取り、任された売り場は高田馬場だった。毎号必ず3冊ずつ買ってくれるおばあさんがいた。買うたびに、決まって世間話をしていく看護師の女性がいた。ようやく常連さんがつき始めた昨年末、小川さんは突然ビッグイシューをやめてしまった。就職活動の時間を確保するためだったが、なかなか思うようにいかず、再びビッグイシューに戻ってきた。

今も夜はネットカフェか、高速道路が走る高架の下で寝泊まりする生活が続いている。理想をいえば、もう少し稼ぎを増やして貯金に回したい。
「でも、日雇いにはもう戻りたくないですね。あの仕事こそ本当の使い捨て。自分じゃなくても、誰でもいいわけだし。ビッグイシューは、すべてを自分の責任でやるという意味ではきつい仕事だけど、自分が立っていないと困るお客さんだっている。やり甲斐はあります」

これまで、どんぶり勘定だったお金の計算にも細かくなった。何を買うにも、ビッグイシュー1冊の値段「300円単位」で考えるようになった。
「午前中に10冊売れたら、1冊分だけ使ってお昼を買う。売れなかったら缶コーヒーで我慢。夜だけはしっかりと定食を食べたいところだけど、そうすると2冊分も使うことになるから、売れなかった日はカップラーメンでしのぎます」

小川さんには夢がある。15のとき、学校の図書館で、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んで衝撃を受けた。以来、「彼みたいな小説家になりたい」と思い続けている。今はまだメモを書き溜めている段階だが、いつか作品化して、日の目を見せてあげたいと思っている。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

117 号(2009/04/15発売) SOLD OUT

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