販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

Tさん

ペーパーマガジンで自己表現。 人とつながれる環境を与えてくれたビッグイシュー

Tさん

東京メトロ赤坂見附駅の外堀通り方面出口(山王口)に、Tさん(44歳)は昨年11月から立っている。平日の8時~14時、16時~19時までの間に20冊ほどを売り上げる。3年前までデザイナーをしていたせいだろうか、服の組み合わせ方にも、何となくセンスのよさが漂う。「服は全部、ビッグイシュー基金に寄せられた古着を活用させてもらってます。町の洒脱な風景からできるだけ浮かないように、気は遣っていますよ」

Tさんはもともと関東の出だ。日本画を描くのが趣味だった父は会社を経営し、母は専業主婦をしていた。高校生の時、漠然と「美術大学に行きたい」と言うTさんに、父は「大学で何をやりたいんだ?」と聞いた。出まかせに「デザインをやりたい」と答えたが、実技の試験で落ち、一浪して希望する美術大学に進学した。

10歳離れた兄もいたが、Tさんが在学中に病気で亡くなった。しかし、「価値観も違ったし、話も合わなかったので、それほど悲しくはありませんでした」

大学卒業後は、医療器具のメーカーに就職。商品のデザインやカタログの企画、取扱説明書の制作などに携わった。31歳で結婚したが、2~3年経った頃から「生活のリズムがちぐはぐになって、2人の歯車が少しずつ狂い始めた」。それでもどうにか絆を取り戻したくて、マイホームを購入した。その後、2人の息子にも恵まれたが、妻子との間にできた溝を埋めることはできず、3年前に離婚した。

その少し前から、会社との関係もぎくしゃくしていた。仕事の内容そのものは好きだったが、どうしても待遇面で折り合いがつかず、18年勤めた会社を辞職した。ローンが払えなくなった家は競売にかけられ、妻は子どもを連れて実家へ帰った。「先日、人手に渡った家を見に行ったら、庭の様子もドアもすっかり変わっていました。子どもの顔も見に行きたいけど、親権は妻にあるので、この先も会わせてはもらえないでしょう」

家を失ったTさんはネットカフェを転々としながら、荷物の仕分けなどのアルバイトをして食いつないだ。ところがある時、緊張の糸がぷつりと切れて、そのアルバイトすら辞めてしまった。そして昨年の11月、気がつくと所持金は数百円になっていた。

途方に暮れたTさんは、会社員時代に一度だけ買ったことがあるビッグイシューの存在を思い出した。
「友達と飲みに行く途中、渋谷で買いました。『Tさんって、そういうの買うんだ。えらいねぇ』と言う友達と、回し読みしたのを覚えています。当時は200円でしたが、それにしては編集もしっかりしていて硬い本だなぁ、というのが第一印象でした。その頃はすでに生活がかなりすさんでいたので、自分も将来売ることになるような予感はしていました」

ビッグイシューの販売者として路上に立った初日は、無償でもらえる最初の10冊を売り切った。だが、販売の仕事はなにしろ初めて。今後も持続して売っていける自信はなかった。

「売ったら売りっぱなしになるのが、一番怖いと思いました。自分の名前や、存在を覚えてもらいたい。そこで思いついたのが、ビッグイシューに挟むオリジナルのペーパーマガジンでした」

ペーパーマガジンは今年の1月から、ビッグイシューの発売日に当たる1日と15日の月2回、欠かさず発行している。ビッグイシュー最新号の特集にまつわる豆知識や、日々思うことを綴ったコラムなどがA5サイズの誌面を賑わす。

構想は4、5日前から練る。ファストフード店でコーヒーを1杯頼み、紙ナプキンに下書きをする。そして2、3日前には、寝泊まりしているネットカフェでデータ作成にかかる。オフィスなどが多い場所柄、お客さんは会社員やタクシーの運転手さんが多い。「次号はまだですか」「いつも楽しみにしていますよ」と、本誌と同じくらい、ペーパーマガジンを心待ちにしてくれる常連さんも増えてきた。

「荷物の仕分けをしている時は、何かをつくって人に発表する場なんてありませんでした。人とつながれる環境を与えてくれたビッグイシューには、心から感謝しています」

1月下旬にはブログも開設した。グーグルで「赤坂見附の販売者」と入力して検索すると出てくる。「将来はやっぱり、過去のスキルを活かせる仕事に就きたいですね。ペーパーマガジンが溜まったら、これを名刺代わりに、就職の面接に行くことも考えています。ゆくゆくは、何らかのかたちでビッグイシューの編集にかかわれたら、うれしいです」。クールなTさんの顔がやっとほころんだ。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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