販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

藤田さん

一度も体験したことがないけれど、一番大切なのは家族だという確信だけはある

藤田さん

東京大学がある本郷三丁目駅周辺で販売を続ける藤田さん(35歳)。一日多い時では70冊程度、通常でもかなりの売り上げがあると言う。 「近隣の会社に勤めるOLさんとか、学生さんとか、テレビで顔を見たことがある東大の先生も買いに来て下さることがあるんですよ」

長身でハンサムな好青年といった風情の藤田さんは、ビッグイシューを販売していなければ、誰もホームレスだとは気づかないだろう。年齢より若く見られることも多いというナイーブで心やさしい男性だ。 藤田さんは千葉県の出身。15歳まで県内の施設で過ごした。

「小さい時に施設に預けられたので、親の顔はほとんど知らないんです」とおだやかに話す。中学卒業と同時にラーメン店へ就職。住み込みで働いた。
「勉強好きというわけではなかったし、手に職をつけられればいいなと思って」。ところがそこで藤田さんを待っていたのは、想像を絶するような過酷な労働だった。

「店は深夜まで営業していたので、朝7時に仕込みに入って、夜中の2時までほとんど休憩なく働くこともザラでした。店長からはしょっちゅう殴られた。ここ鼻が少し曲がっているでしょう、店長にやられて骨がおかしくなっちゃったんですよ」

人手が足りなければ、夜中でも、店長が寮の扉を叩いて起こしに来る。睡眠時間は平均2、3時間。そのせいか、常に頭が朦朧としていた。朝7時から夜中まで連続勤務が続いたある日、朦朧とした藤田さんは熱湯を扱っていることに気づかず、同僚にやけどを負わせてしまったこともあったという。

そんな違法としか考えられない過酷な労働条件の中で、なぜ働き続けたのか?しかし、中学を卒業してすぐに就職した藤田さんは、それが"当り前"のことだと思っていた。 「働くことは厳しいことだと聞いていたので、こんなもんなのかなと。施設の紹介で入った手前、逃げ出したり、辞めたりしたら迷惑がかかるとも思ってました。何より毎日、仕事仕事で"辞める"とか、そういう選択肢が浮かぶ余裕さえなかったんでしょうね」

そこで6年もの歳月を過ごした藤田さんだったが、"最後"はあっけなくやって来た。 「もう一人、住み込みで働いていた人が辞めたんです。この人がいなくなったら、自分はその分働かされる、そうしたら自分は本当に死んでしまうと思って……それで逃げ出したんです」

寮費やら光熱費やらを差し引かれ、まともな給料を受け取っていなかった藤田さんは、路上で過ごすしかなかった。街をうろついていると、建設の仕事を手伝わないかと手配師に声をかけられ ―― それから十数年、藤田さんは日雇いで建築現場を転々とすることになる。

「建築現場では雑用とか片づけとか、下働きばかり。まわりはみんな年上で、二十歳そこそこの自分は相当こき使われました。それはつらくてたまらなかったですよ」

日給は8000円ほどあっても宿泊代や食事代といって差し引かれたので、手元に残るお金は3000円がいいところ。アパートを探そうにも、別の仕事を探そうにも、貯えがないその日暮らしではどうにもならない。建築の仕事を辞めたい、辞めたいと思いながら、身動きが取れず、がんじがらめになっていた藤田さんは、三十歳を過ぎて数年たったある日、一つの決意をする。

「このままいったら、ずっと危険な建築現場で働かされて人生終わるんだろうと思ってね。それで建築の仕事を辞める決意をしたんです」。蓄えのない藤田さんにとって、それはそのまま路上で暮らすことを意味した。若く体格のいい藤田さんは今でも、「建築現場で働かないか」と声をかけられることがあるという。

「もちろん断りますよ。もう二度と建築の仕事はやりたくない。今度こそ、ちゃんとした仕事に就きたいと思うんですよ」 藤田さんは就職活動にも、とても意欲的だ。

「個室ビデオ店とか、ネットカフェの受付の仕事をやってみたいです。屋根があるところにいられるし、冬は暖房がきいているでしょう。それだけで満足ですよ。ほかにどんな仕事があるのか、正直よくわからないところもあって。ハローワークにも行ってみたいんだけど、日雇いしかやって来なかった僕みたいな人間がいったらカウンセラーの人が困るんじゃないかな……だからいまだに行ったことないんですよ」

藤田さんはお金が続く限り、ネットカフェやサウナに宿泊する。人に気を使わなくて済む一人のほうが、ずっと気楽で落ち着くのだそうだ。
「ちゃんとした仕事を見つけて働いて、いつか家族を持ってみたい。家族ってどんなふうだかわからないから、すごく憧れるんです。一度も体験したことがないけれど、一番大切なのは家族だという確信だけはあるんですよ」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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