販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
植村二三夫 さん
パソコン講座で習ったことを就職につなげたい
会社員が怒濤のように行き交う通勤ラッシュ時の虎ノ門に、植村二三夫さん(49歳)のよく通る声が響き渡る。「朝は皆さん忙しいから、できるだけ大きな声を出してビッグイシューを印象づけておくんです。すると、お昼休みにわざわざ買いにきてくださる」
朝8時から夕方4時頃まで東京メトロ銀座線虎ノ門駅4番出口に立った後、バスで移動し、5時からは大江戸線六本木駅8番出口付近で販売を続ける。そんな生活が9月初旬から続いている。「虎ノ門の場合はOLさんが8割くらい。六本木も女性が多いけど、外国の方も2割を占めています」と、場所によって微妙にお客さんの構成が異なる。
10月1日には、忘れられない出来事があった。「今日3歳になる息子のためにと言って、若いお母さんが最新号とバックナンバーの10月1日号を買ってくださった。記念に買ってくれただけなのかなと思っていたら、次の号もまた買いにきてくれた。あんなお母さんをもったら、きっといいお子さんに育つでしょうね」
植村さん自身は、子ども時代にあまりいい思い出がない。生まれは東京。父は会社員、母は専業主婦だった。兄一人と姉二人、弟一人に挟まれていたため、チャンネル争いなどでケンカが絶えなかった。小学校の高学年からは学校でいじめに遭い、高校は中退した。喫茶店でアルバイトをしていたら「ちゃんと就職しなさい」と親に叱られ、工場に勤めた。しかし夜勤の次は早番などと、めまぐるしく切り替わるシフトに身体がついていけなくなり、半年で辞めた。アルバイトから始めた運送助手の仕事は契約社員まで昇格したが、正社員とほとんど変わらない営業の仕事をさせておきながら、待遇に大きな差をつける会社のやり方に疑問を感じた。
その後、数え切れないほどの仕事を転々としていた植村さんは3年ほど前、知り合いからビッグイシューのことを聞いた。JR新宿駅の南口に1週間ほど立ってみたが、ほどなく建築の仕事がみつかった。日雇いではあったものの、仕事自体は長期的にもらえそうだった。一泊3500円のカプセルホテルにも泊まれるようになった。ようやく安定した生活に手が届くかと思えたある日、建設現場でブルドーザーのキャタピラーと接触し、左足を骨折した。「一時は歩けなくなる可能性もあると言われたけど、大学病院の優秀な先生たちがチームを組んで治療に当たってくれた。そのおかげで半年後、どうにか歩けるようになって退院しました」
しかし、左足をかばいながら現場に戻ることには不安があった。そんな今年8月、池袋で再び『ビッグイシュー』の販売者を見かけた。「声をかけたら、まだ販売者を募集しているって言うから、急いで事務所に連絡して、また新宿に立たせてもらったんです。その頃は路上で寝ていたけど、虎ノ門に場所を移して軌道に乗り始めた今は、一泊1000円のネットカフェに寝泊まりできるようになりました」
今度こそ長く続けたいと願う植村さんは、販売歴の長い先輩たちの知恵を見習うことにした。「長続きのコツは売れなくても焦らないこと。売れないと顔も険しくなって、ますます売れなくなる。まずは5冊売ることを目標にして、売れたら10冊、15冊……と目標を上げていく。一時的な数字に、一喜一憂しないようにしています」
10月からは、ビッグイシュー基金が主催するパソコン講座にも通っている。「ネットカフェに泊まっているから、ネットで検索する程度ならできたけど、キーボードの基本操作がわかると楽しい。最終的にはパソコンで書類をつくれるようになって、就職につなげたいですね」
いつかはビッグイシューを卒業したい。でもその前に、一つだけやっておきたいことがある。植村さんはかつて、経営の傾いたキャバクラを立て直した経験がある。「友達に誘われて歌舞伎町のキャバクラでボーイをしていたら、六本木の姉妹店を立て直してほしいって頼まれた。女の子の給料と店の家賃が先だからって、2ヵ月くらいは店長ともども給料なしで働いて、店は見事に立ち直ったんです」。その経験を生かして、ビッグイシューの新しい販売場所を開拓したいというのだ。「自分の販売場所を守ることも大事だけど、中身で選んでもらえる雑誌になるにはもっと売り場を増やして、多くの人に知ってもらう必要がある」と語る植村さんからは、販売にかける情熱と商品への愛情が伝わってくる。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
107 号(2008/11/15発売) SOLD OUT
特集畑と暮らす──畑つきアパート&週末小屋の畑暮らし