販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

小西一智さん

「一日一生」という言葉に共感。目の前にあることを着実にやっていくことが一番大切だと思う

小西一智さん

今年4月から、御茶ノ水駅聖橋口で販売を続ける小西一智さん。ビッグイシューを売り始めて約半年、毎号買いに来てくれる常連さんもでき、販売が楽しいと感じる機会が多くなったという。
今年36歳になった小西さんを、私はかつてブラウン管の中で見たことがあった。まだ「ワーキングプア」という言葉すら使われていなかった2006年7月、NHKスペシャルで『ワーキングプア―働いても働いても豊かになれない』という番組が放映された。番組中で30代前半の若さなのに、仕事も帰る家もない青年として登場したのが小西さんだった。
「テレビに顔を出すのは嫌だったけど、ディレクターの熱意に負けた部分が大きい。自分の経験が少しでも役に立つならと思ったんですよ」と小西さん。
求職活動を重ねた末、ようやく洗車場での職を得たが、まだ家を借りるお金がない……というところでその番組は終わっていた。その後、彼はどうなったのか?
「洗車場の店長はとてもいい人で働きやすかったんだけど、その人が突然異動になってしまった。そうしたら急に職場がギスギスし始めて、人から無視されるようになって。それがつらくて辞めてしまいました」
その後、2ヵ月ほど教会の炊き出しなどで食いつなぎつつ仕事を探し、寮完備の警備会社に勤務することになった。某有名デパートの駐車場警備に派遣されるが、小西さんはそこでもイジメにあってしまう。
「反応が遅いと毎日怒鳴られて、完全に自信を失ってしまいました」
警備会社を辞め路上生活に戻った小西さんは、知り合いに誘われ、ビッグイシューを売ることになったのだった。
小西さんは宮城県石巻市出身。子ども時代は快活で、アナウンサーになるのが夢だったという。ところが小西さんが高校生になったころ、父親が営んでいた青果業がうまくいかず、大量の借金を抱え込んでしまう。一家は離散。
「あるとき、自宅に市の生活保護課から扶養能力調査の手紙が届いて、行方知れずだった父がとりあえず生きているということがわかりました」
高校を出た小西さんは、地元の農産物加工会社に正社員として入社する。
「大根のツマのパック詰めやサトイモのビニール詰めなんかをやったんですが続かなくて、3ヵ月で辞めてしまいました」
警備会社での勤務を経て、27歳の時、派遣請負会社に登録。それまで生まれ故郷を一度も出たことがなかった小西さんは、その後3年間に、仙台で車部品の成形、一関でアイスクリーム工場のライン、山形で半導体の検品、埼玉でブラウン管チェック、群馬でカーエアコンの検品……と計7つの職場を転々とすることになる。
「半年契約のはずなのに、作業が早く終わったからと打ち切りになったり、正社員から冷たくされたり、つらいことが多かったですよ。最後の職場ではリーダーと呼ばれる係長から完全に無視された。派遣社員には一言も口をきいてくれないんです」
ガマンにガマンを重ねた末、ある日ふっつりと糸が切れたようになった小西さんは、職場を飛び出し東京へ向かう。ちょうど30歳の時だった。サウナに泊まり、所持金を使い果たした小西さんは、クレジットカードを限度額まで使い、やがて路上へ。
「職を探そうと職安に行ったこともあったけど、派遣請負は何のスキルにも何のキャリアにもならない。正社員になるのが、こんなに厳しいとはねぇ。作家の五木寛之さんが『鬱の力』という本でバブル期までの躁の時代から鬱の時代に移行していると書いているけど、本当にそうだなと思うんですよ」
読書が趣味で、五木寛之やベンジャミン・フルフォードの著書は特に好きだという。今、景気がなぜ悪いのか、スタグフレーションやサブプライムローンの解説を交え、レクチャーしてくれる小西さん。その幅広い知識と鋭い分析眼には本当に驚かされる。それなのになぜ―小西さんはいまだ路上で生活せざるを得ないのか?
小西さんが顔出しで出演したNHKスペシャルは、「ワーキングプア」や「業務請負」や「若年ホームレス」の問題を広く世に問う契機となったとして高く評価されている。その後、こうした問題に対する国民的関心が高まり、厚生労働省も動き始めた。そのきっかけを与えた立役者のひとりである小西さんがなぜいまだに……。そんな思いをぶつけると小西さんは笑顔で次のように答えた。
「内村鑑三って思想家、知ってる?彼の『一日一生』という言葉に共感しているんだけどね、目の前にあることを着実にやっていくことが一番大切だと思う。最近、ビッグイシュー基金の貯金プログラムを始めました。先のことはわからないし、仕事に就けるかもわからないけど、毎日着実に生きていこうと心に決めているんですよ」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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