販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

鎌田茂樹さん

自立できたあとは、他の販売者の自立を応援する、 そんな仕事をするのが夢

鎌田茂樹さん

「今週が、いい1週間になるといいですね」。手に掲げたサンプル用の1冊に、そんなメッセージを書いたカードを添えている。「たとえば、月曜日なら1週間の始まりを明るく伝えられる言葉を、晴れの日なら『今日もいいお天気ですね』とか、少しでもコミュニケーションが深まればいいなと思って書いています。僕は大きな声を出して販売するタイプではないので、このメッセージカードが道行く人への声がけのつもりかな。毎回、どんな言葉にしようかなと考えるのもひとつの大切な仕事なんです」

鎌田茂樹さん(43歳)は、今年の5月からビッグイシューの販売者となり、平日はほぼ毎日、大阪市都島区の大阪市立総合医療センターの前に立っている。ベンダーとなったきっかけは、路上生活を始めて2ヵ月が過ぎたある日のこと。急に降り出した雨を避けようと京阪京橋駅の屋根の下へ向かうと、そこにはビッグイシューの販売者がいた。

「僕がホームレスだとわかると、『もしも今、住む家も仕事もないのなら、やってみないか』と誘われて…。ビッグイシューのことは前から知っていたけれど、まさか自分が売るなんて考えてもみなかった。僕にできる仕事なのかどうかもわからないし、すぐに返事もできなくて、少しの間、離れた場所からその人が販売する様子を眺めていたんです。すると、自分のペースで働けそうだし、購入する人が意外と多いということもわかり、チャレンジしてみようと思えてきた。そして、その日にその人に事務所に連れて行ってもらって説明を聞き、早速次の日から販売をスタートすることになったんです」

鎌田さんは3人兄弟の末っ子として香川県・小豆島に生まれた。「どちらかというとおとなしい子どもで、クラスメイトにいじめられることもありました」と幼少期を振り返る。高校を卒業すると、高松市内の大学へ進学して法律を学んだ。社会に貢献できる仕事をしたいと国家公務員を目指し、大学卒業後も実家へ戻って試験勉強を続けた。

「このまま実家にいたら親に甘えてしまうと思って、2年後には兄のいる大阪へと出ることにしたんです。兄のアパートに身を寄せながら、何年も試験を受け続けたんだけど、なかなか合格できなくてね。そうしているうちに兄が結婚をしてアパートを出て行き、実家に支援してもらいながらのひとり暮らしが始まりました」
このままじゃいけないと、カタログ制作の仕事など何度か会社勤めも経験したが、いつも長続きしなかったという。
「僕は自分のやりたいことを目標にして、我が道を行こうとする性格。なのに周囲の人のことも気になるから、何をするにも躊躇してしまうことが多くて…。それに、人とぶつかりたくなくてつい逃げてしまうので、結局辞めることになってしまうんです」

今年の春先、ずっと住んでいたアパートが建て替えられることになった。大家さんが別のアパートを紹介しようとしてくれたが、その家賃は仕事をもたない鎌田さんにはとても払えない額だったという。
「これ以上実家に頼ることもしたくなかった。小豆島に帰って来いとも言われたけれど、これを機に一度自分ひとりで生きてみようと思った」
アパートを出てしばらくは、長らく住み親しんだ寝屋川市内で野宿をしていたが、その後大阪市内へ。そこで程なくして、ビッグイシューと出合うことになる。

「今では顔なじみのお客さんも何人かいて、励ましの声をかけられることも多くなってきました。僕は買ってくれた人には必ずお礼を言うし、通行の邪魔になるような場所には立ちません。そういった周りへの気遣いだけは絶対に欠かさないようにしようと思っています。一日の売り上げが15冊以上になると気分的にとてもラクですね。売り上げが良かった日も悪かった日も、稼いだお金でビールとアテを買うことが一番の楽しみなんですよ」

「自ら積極的に参加したのではなく、誘われると断れないだけ」と、OHBB(大阪ホームレスビッグバンド)で歌を歌って楽器を奏で、フットサルチームの練習で汗を流す鎌田さん。今後の目標を聞くと、「当面の目標はもっと売り上げを伸ばすこと。そして、僕ひとりが自立できたらそれでよしというのではなく、いずれはスタッフのような立場になって販売者全員の自立を応援していきたい。実は19歳のときにみてもらった占い師に『40代後半で芽が出る』って言われたんですよ。その年齢まであと少し。頑張って、なんとか芽を出したいと思ってるんです」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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