販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

佐々木善勝さん

ビッグイシュー始めて、人見知りもなおった。今は人と話すのが何より楽しい。

佐々木善勝さん

アスファルトの照り返しが厳しい渋谷の路上で、佐々木善勝さん(35歳)の頭に巻かれた、いなせなタオルが通行人の目を引く。今年5月半ばに代々木で販売を始めたが翌月、もっと売れそうな渋谷へと移動してきた。

平日は朝8時から夜8時半頃まで宮益坂下交差点のりそな銀行裏に、土日は朝11時から夕方5時半頃まで西武百貨店向かいの住友信託銀行前に立っている。ただし日曜日と月曜日は映画館で清掃のアルバイトをしているため、夕方4時前には片づけてしまう。

「古いヤクザ映画なんかを上映している映画館でさ、たまに仕事帰りのサラリーマンも来るけど、ほとんどがお年寄り。床にこぼれたお菓子とか灰皿に溜まった煙草を片づけて、ごみを分別して、モップをかけ終えたころには夜中の12時を回ってる」。ファーストフード店でうとうとしながら夜を明かしたら翌朝、また販売場所へ向かう。一泊980円する漫画喫茶には月に1度泊まれればいいほうだ。

どこか温かい感じのするアクセントが気になって生まれを尋ねてみると、31歳のときに東北から上京してきたという。

「父は大工、母は俺が小学4年のときに亡くなった。双子の妹は何年か前に嫁いでいったから、実家には父ひとりだけ」

妹にお祝いを言いたくて、故郷へ帰ろうとしたこともある。ところが、「新潟まで新幹線で行ったのはいいけど、土砂崩れで先へ進めなくなった。代行バスも出てはいたけど、怖くて引き返してしまった」

それ以来、故郷からは足が遠のいている。故郷には仕事もなかった。高校を卒業して自衛隊に4年間在籍した後、地元の建設会社に就職したが、不況のあおりを受けて失業した。31歳で上京してからは飯場を渡り歩いたが「仕事もないし、そんなに人はいらない」と、ここでもまた切られ、働く場所を失った。

そんなとき、渋谷の路上仲間から「一緒にやろう」と勧められたのがビッグイシューだった。しかし、「説明を聞いても仕組みがさっぱり理解できなくて、断ったんだよね」。そして今年の5月半ば、新宿中央公園の炊き出しで何やらチラシを配っている「きれいな女性」が目に入った。それがビッグイシューのスタッフ池田さんだった。今度は俄然やる気になった。

翌日、さっそく事務所を訪ねると肝心の池田さんは外出中だった。当ては外れたものの、販売の登録手続きを済ませ、用意した20冊を初日から売り切った。それでも佐々木さんは、「これからもずっとこの調子で続けていけるのか不安で、その晩は眠れなかった」という。実際に続けてみると、不安は徐々に解消されていった。「ビッグイシューを始めるまではひどかった人見知りも直ったし、この人を本当に信じていいのかなと疑うこともなくなった。今は、通勤途中の朝と晩に必ず挨拶を返してくれるお客さんもいて、人と話すことが何より楽しい」そうだ。

1日の仕事を終えた後、スーパーで買ったサバのみそ煮の缶詰をアテに缶ビールを飲み干す。まさに至福のひとときだ。と同時に、「こんなとき、何でも話せる彼女がいたらなあ」と、急に寂しさが込み上げてくることもある。飯場で仕事をしていた頃は、新宿の店で知り合った年下の女性とつき合っていた。

「酒を飲んで電話すると『酔っ払って電話してんじゃねえ、この野郎』と怒鳴る男っぽい性格の子だった。そんなとき俺はビクッとなって、『ごめんなさい』って平謝りしてた。渋谷でデートもした。ある日突然、店を辞めて連絡が取れなくなってしまったけど、渋谷にはいい思い出がたくさん詰まっているんだよね」

朝、いつものように売場近くでフリーペーパーを配る若者たちに挨拶をしていたら、彼女のことが不意に頭をよぎり、目が潤んでしまったことがある。気持ちを落ち着かせようとビッグイシューの事務所に電話をかけ、スタッフに話を聞いてもらった。感情は高ぶり、気がつくと号泣していた。だから、「今はなるべく別のことを考えるようにしている」。

ビッグイシューの販売者とボランティアで結成したフットサル・チーム「野武士ジャパン」の練習も、佐々木さんにとってはいい気分転換になっている。販売を始めて間もない頃、蜂窩織炎(ほうかしきえん)という病気で足が腫れて2週間ほど療養した。

「そんなときフットサル・チームのことを聞いて、リハビリになればと軽い気持ちで始めたんだけど、だんだんおもしろくなってきちゃってさ。先日の練習試合でも2得点あげたよ。夢はもちろん、12月にメルボルンで開催されるホームレスワールドカップに出場すること」。かつてサッカー少年だった佐々木さんの瞳が、いきいきと輝き出した。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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