販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

髙橋善之さん

近い将来、兄ちゃんも呼んで、みんなで同じ家で一緒に暮らせたらいいなって思ってる。

髙橋善之さん

高田馬場駅で販売を続ける髙橋善之さん。ビッグイシューを売り始めてまだ半年ほどだが、独自の工夫を欠かさない熱心な販売員のひとりだ。「大きな声を出して自分がここに立っていることを知ってもらう。恥ずかしがってたら何も始まらない。開き直りが大切」と言う。

髙橋さんは42歳だが、見た目は実年齢よりずっと若く見える。そのためか「まだ働けるのに、何でホームレスなんかやってんだよ」という目線が刺さることがある。「被害妄想かもしれないけどね、でも自分がホームレスであることを人前にさらすのって結構勇気がいるんだよ」

髙橋さんが路上暮らしを余儀なくされたのは昨年12月半ばのこと。ちょうど兄と2人で住んでいたアパートの更新時だったが、そのために必要なお金が払えず、夜逃げ同然に飛び出してきた。「真冬だったからね、ものすごい寒くて、生きて正月を迎えられないんじゃないかって本気で思ったよ」

母親の形見だった貴金属をお金に替えて数日をしのぎ、その後は飲まず食わすで一週間、新宿界隈を歩きまわった。このままじゃ本当に死んでしまうと思った髙橋さん兄弟は、市町村で運営する厳冬期限定の宿泊施設があると知り、区役所へ。「そうしたらすごい人で……くじ引きだって言うんだ。兄ちゃんは当たったけど俺はハズレ。仕方ないよね」

髙橋さんは兄と別れて再び路上へ。すっかり気力を失い、路上にへたり込んでいた。「ふと目線をあげるとビッグイシューを売ってるオジサンの姿が飛び込んできた。前にテレビで見たことがあったから、ビッグイシューがどういうものかは知ってたけど、そのオジサンにもう少し詳しい内容を聞いて……それで自分にもできそうだと思った。まさか自分が売る立場になるとは考えたこともなかったけどね」

こうしてビッグイシュー販売員となった髙橋さん。今はビッグイシュー仲間4人と同じねぐらで並んで寝るような"共同生活"を送っている。「仲間と一緒にいる時間が何より楽しい。真剣に探せば仕事があるのかもしれないけど、もう少しこのままでいたいと思うんだ」

アパートを追われる前まで、髙橋さんは某レンタカー会社で働いていた。洗車したり、車を届けたり、それなりに忙しかったが、腰を痛め、仕事ができなくなってしまう。「子どものころからの側弯症をそのまま放っておいたらひどくなっちゃって。昔は70キロあるホースを担いでビルの上まで上がっても平気だったのにね」

レンタカー会社で働く以前、髙橋さんは水道屋として働いていた。父親が経営する水道屋を手伝うかたちで仕事をはじめ、水道管の配管、器具の取付、給水など、水まわりに関することを一手に引き受けられるまでに成長した。「一連の工事が終わると水圧をかけて実験する。一滴の漏れもなく、水が通るとそりゃホッとしたもんだよ」

そんな髙橋さんの人生は、母親の病で一変する。「脳溢血で倒れて、四肢麻痺で動けなくなっちゃった。入院してたんだけど、やっぱり家族で面倒みたいって引き取って……それから約10年、仕事を辞めて母親の看病に専念した。一所懸命話しかけて、いろんなものを食べてもらいたくて15種類ものおかゆを作ったこともあったね。寝たきりだから、家を空けられても最大2時間まで。大変だったけど、早く治ってもらって親孝行したいと思ってたから、苦痛じゃなかったよ。ところが途中で父親も肺がんになっちゃって、母親より先に逝っちゃった」

両親の死後、生活費としてきた年金も途絶えたため、働き口を探さなければならなかったが、なかなか気力がおきなかった。「介護がなくなったら気持ちが晴れると思ってたけど、現実はその逆。兄ちゃんがいなかったら俺も後を追ってたんじゃないかな。生きる支えみたいなものがなくなっちゃって、もう生きていたくないって思ってたよ」

それから2年。髙橋さんはいまだ"生きる支え"と言えるようなものを見出せてはいない。「自分は何をやりたいのか? どうしたいのか? よくわかんないんだ。早く自立しなきゃと思うけど、それがわからないと、どうにもならなくて……。今は寝床を共有してるビッグイシューの仲間が"家族"みたいなもん。近い将来、兄ちゃんも呼んで、みんなで同じ家で一緒に暮らせたらいいなって思ってる」

求められ、必要とされることは、それが誰であれ、何であれ、人間にとって"生きる支え"になるのだということを髙橋さんに教えてもらった。高橋さんがビッグイシューを卒業する日は新たな"生きる支え"を見つけた時なのかもしれない。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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