販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

『ビッグイシュー・アイルランド版』販売者、ノエル・マッコレー

酒もたばこもやらないから、貯金することにした。家族や友達の助けもあって、自分の家を買うことができたよ

『ビッグイシュー・アイルランド版』販売者、ノエル・マッコレー

世の中には、最高の話し相手で、陽気で快活、いつでも楽天的な人がいるが、ノエル・マッコレーは間違いなくそのひとりだ。彼と話をすると、希望がわいてきて、心が軽くなり、あらためて人を信じる気持ちになれる。
ノエルは、1946年、北アイルランドのドニゴールに生まれた。11人兄弟の9番目だった。父親は大麦、とうもろこし、じゃがいもの栽培と酪農を営んでいた。「大きなじゃがいも農家で、スペイン、エジプト、イスラエルなど世界中に出荷していたんだ。家族みんなが畑で働いたけれど、恵まれた子ども時代だったよ」
5歳の時にそれまでまったく問題のなかった視力が急速に衰えはじめ、6歳半になった時には全盲になっていた。母親が妊娠中に風疹にかかったのが原因だという。幼い子どもにとって視力を失うことは大変なショックだったと思われるが、ノエルも家族もこの事態を淡々と受け止め、これまでどおりの生活を続けた。
「母は・ビッグイシュー(大問題)・扱いせず、息子に対して『あれをしたらだめ』『これをしたらだめ』なんてことは一切言わなかった。そのことはとても感謝しているよ」 7歳でベルファスト郊外の盲学校に入学すると、楽しい学校生活を送ったそうだ。16歳で卒業後、コークに出てバスケット作りの仕事についたが、6ヵ月で退職。いったん実家に戻って農場を手伝いながら、他の道を探ることにした。
1981年に製造業の仕事をみつけると、レターケニーに移り住んだ。そして、その地で生涯の友であり恋人となるマデリーンと出会う。彼女は、今に至るまでノエルにとっての幸せの源でありつづけている。「マデリーンと知り合ってから31年。頼りになる友人で、どこでも一緒さ。家事を手伝ったり、新聞を読んだりしてくれる。スライゴーに引っ越してきた時も一緒に来てくれて、今もすぐ近所に住んでいるんだ」
1987年、電話交換手になれると聞くとすぐに、唯一訓練コースを運営していたスライゴーのアイルランド盲人協会に受講を申し込んだノエル。スライゴーまで出かけて面接を受けると、結果は合格だった。「以来ずっとこの町に住んでいる。もう第二の故郷だね」
だが、自動化で電話交換の仕事が時代遅れになると、ノエルは失業。失業生活は何年もつづいたが、落ち込むことなく新しい仕事を探した。1996年にスライゴーのビッグイシュー事務所で交換手を募集していると聞くと早速応募したのだが、すでに申し込みが殺到していたため、かわりに販売者の仕事を提案される。「販売者を探していると言われて、『やるよ』と即答したんだ」
表紙を正しい向きに掲げられるようにフォルダを工夫し、街頭に出て、5時に事務所に戻ってきたノエル。ポケットには12・5ポンド(約2千円)の売上─何年かぶりに自分の手で稼いだ金だった。「最高の気分だったよ。それ以来、ずっとこの仕事一筋さ」
アイルランドのひどい天気さえものともせず、「農場育ちだから、野外での仕事には慣れっこなのさ」と言うノエルは、スライゴーとエニスキレン、ゴールウェーを楽しげに行き来しながら、ビッグイシューを販売する日々だ。そのかたわら、一緒に雑誌を売る販売者仲間をスカウトもしている。
ビッグイシューを通して、生活が変わり、友人や生きる目的ができたという彼は、最近、売上を貯金した資金で、家族の援助はあったものの、自分の家を買った。
「酒もたばこもやらないから、貯金することにしたんだ。家族や友達の助けもあって、自分の家を買うことができたよ。自分の家という目標を達成することができたのは、ビッグイシューの販売の仕事のおかげだね。この仕事がなければ不可能だった。今日だって、アイルランドの長い冬を家の中で過ごすことができるんだから最高さ」
「いい仕事に恵まれたよ。困っている人がいれば、ビッグイシューの販売者になることを勧めるだろうね。この仕事は人生を切り拓いてくれる。私自身がその証拠だよ。私には、ビッグイシューの販売は一服の清涼剤さ」

『ビッグイシュー・アイルランド版』
1冊の値段/5ユーロ(約700円)で、そのうち2・5ユーロが販売者の収入に。
発行部数/3週間に1回
販売場所/ダブリン、コーク、ベルファストなどのアイルランド主要都市

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

今月の人一覧